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2006年10月10日

my nepali life diary 2006 vol.04

10/10
ネパールで初の携帯をゲットした。SIMカードを買うのにはパスポートのコピーと証明写真が各一枚ずつ必要だったが、どちらも日本から持ってきていたので簡単に購入することができた。サインをするだけで、細かい記入などはDeepakさんの友達のお店の人がやってくれることになった。Deepakさんの友達だったということで信用して任せることができた。すんなりと手続きが終わり、嬉しい気持ちになったので早速母親に電話をかけてみた。久しぶりに母の声を聞けて少し安心した。しかしプリペイド携帯の為、チャージ残料金が少なかったので携帯を買ったと言う報告と番号を知らせて早々と切った。音質も悪くなく、今後いろんなことに活躍してくれる相棒ができた。
12時前でお昼ご飯にはちょっと早い時間だったが、よく行くレストランに行くことにした。野菜モモを食べながら本を読んでいた。食後にチャイを飲んでいると「日本人ですか?」とネパール人に声をかけられた。「また、ちょっと日本語が話せるネパール人が日本人の女の子を誘いに来たんだな」と思った。日本人の女の子は軽くついて行くと思われていることが多い。実際声をかけられてひょこひょこついて行く女の子が多いのは事実なようだ。その為私はそういう子を狙ったネパール人かと思った。しかしそのネパール人はちょっと違った。日本語がかなり流暢なのだ。それもそのはず、話を聞いてみると日本人の奥さんと11歳の子供がおり、日本に住んでもう17年も経つそうだ。名前はpal。今回ネパールに帰ってきたのは3年ぶりで、その理由はお父さんが糖尿病のだからだそうだ。彼のお姉さんの子供(19歳)と一緒にお昼を食べているところだったので席を移動し、そのままレストランで小一時間ほど話をした。過去に彼は空手で全国を周ったり、大きな大会で優勝したり、日本に空手の留学をしたりと地元では結構有名(?)なようだ。しかしもうずっと日本に住んでいることもあって、今回ネパールに帰ってきても何となく外国人のように感じると言っていた。だが私の民宿計画の話をすると友達が近くでゲストハウスをやっているから紹介すると言ってくれた。やはりネパールの中のつながりは深いようである。そこのオーナーはある日本人と長い付き合いがあるようで、私に対してもとても親切に対応してくれた。今日はほんのちょっと挨拶をして名刺交換をした程度で、その場を離れた。また日を改めて話を聞かせてもらいに行こうと思った。
その後カトマンドゥモールと言う大きなショッピングモールに連れて行ってもらった。バイクの二人乗りで行ったのだが、カトマンドゥの道路は怖い。我先にとみんなが前に行こうとして、押し合いへしあいが今にも起きるんじゃないかという感じ。もちろん無事に目的地まで着いたが、自分で絶対に運転はしたくないと思った。ショッピングモールにはおしゃれな感じのお店が全4階建ての各階にあったが、あまり流行ってる感じには思えなかった。間違いなく本物ではないアルマーニやプラダの服や靴があり、多分販売許可が下りてないであろうコンバースやディーゼルがあった。特に買い物はせずお茶をしようかということで、カフェに入った。彼はピスタチオ、私はラムレーズンのアイスクリームを食べた。味はう〜ん・・・いまいち。ラムの味がほとんどせず、甘いだけだった。すると突然雨が降り出した。ボツボツと屋根を鳴らす大雨だ。帰ろうにも帰れずしばらくアイスクリームをちまちま食べつつ雨が止むのを待った。ところが雨は一向に止まない。仕方がないので小降りになったのを見計らって家まで送ってもらうことにした。そして明日はナガルコットまで夕日を見に行く約束をして別れた。
今晩8時に日本にいるときに知り合ったネパール商工会及びアスカトラベルの社長のヒラチャンさんに会う約束になっていた。今住んでいる家には9時の門限があるので、今日は他のホテルに泊まろうと考え、そのことをDeepakさんに伝えた。するとすごい勢いで、
「それは良くないことです。もし外で何か事件が起こったら、警察は私のことろに来ます。あなたの荷物がここにあるからです。9時までに帰ってくるのなら私は何も言いません。あなたの自由です。しかし泊まるのは良くないです。私はあなたの為に何でもやります。洗濯もしますし、食事も提供します。ドアのカギもあなたの好きなときにあけます。知っていますか?ここ4ヶ月のうちに75人もの子供が誘拐されたりレイプされたりしています。いつ何が起こるか分かりません。でもあなたの自由は奪いたくありません。」
と言うようなことを捲し立てられた。確かに彼の言うことは理解できた。夜、外に出るのが危ないのは分かる。しかしそれはここカトマンドゥに限ったことではない。たとえ日本であっても夜遊びをしていたら危険と隣合わせなことには間違いない。しかしヒラチャンさんに会うのは五つ星ホテル(yak and yeti hotel)のレストランであり、そこまではタクシーで行く。夜道を歩くことはないのだ。その為、私は特に危険を感じはしなかった。もちろん心配してくれるのはとても有り難いが、ちょっと困ってしまった。私はその約束を断ることはできなかったので、荷物を全部まとめて他のホテルに移動すべきか考えた。彼に気苦労をかけるのも良くないし、自分の時間を制限されるのも長くは続かないと思った。旅行で一週間くらいの滞在であれば構わないことかもしれないが、一ヶ月以上続くのは難しいことだと思った。彼は本当にいい人で信頼できる友達だ。だから余計家に泊まらせてもらうことによって関係が崩れることは避けたい。話をしているうちに時間も差し迫り、彼は言った。
「あなたのスケジュールは確定しているものなので、変えられないです。何時までだったら帰って来られますか?」「12時までには必ず帰って来られます。」
「では帰りはホテルのタクシーで帰ってきて下さい。」
ということになり、私は何とかヒラチャンさんに会いに行った。今後このことについてはしっかりと考えて結論を出さねばならないだろう。お互いを尊重しつつ、関係を維持していくにはどうするべきか。大事なことだ。
気を取り直して、ヒラチャンさんと久しぶりの再会をした。私が日本で「ネパール民宿計画」の調査をしてるとき、ネパール大使館より紹介され会うことになった。彼は大阪に住んでおり、東京で会うのは難しいと思われた。しかし私が電話をかけたとき偶然彼は東京に来る新幹線の中だった。そして、彼には30分の空いた時間があるから私と新宿で会うことになった。初めての顔合わせだったにもかかわらず、彼は私の頭をポ〜ンと叩き「よう!久しぶり」という感じだった。お互い初めて会ったようには感じず、親戚のような感じを受けた。そんな出会いをしたヒラチャンさんとネパールで会うのもとても楽しみにしていたことだ。彼はネパールと日本のことをよく知っているのでたくさん相談させてもらっている。今回もポカラに行った際は実家にホームステイをしなさいと言われているので、一週間くらいはお世話になろうかとうっすら考えている。今日はレストランで食事をしながらビールを飲み、これからの話をした。まだまだ私の計画はスタートしたばかりだが、「将来的には何か協力しあってできることはないか考えていこう」ということになった。彼はもう何十年も輸出入や旅行会社の仕事をしており、さらに国のことにもかかわっている人だ。月とすっぽんのような経験値の差があるのでたくさんのことを教わろうと思っている。そしていつか自分に力がついたとき、何かお返しをしようと考えている。日本語で話ができ、ビジネスのことにも理解のある人と話ができ、安心した気持ちでとてもいい時間を過ごせた。

投稿者 satoka : 2006年10月10日 14:00

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