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2006年10月22日
my nepali life diary 2006 vol.14
10/22
約束をしていたので、11時にManoharさんの事務所に行った。すると彼はまだ来ていなかった。スタッフのNarayanに聞いたらあと30分くらいで来ると言ったので、待つことにした。途中で一度電話をかけたのだが出なかった。暇に時間を過ごすのももったいないので、ネパール語を教えてもらうことにした。チャイを飲みながらゆっくりと教えてもらっていたら、12時近くになってしまった。12時半にボダナートでMackyと会う約束があったので、もう一度会社からManoharさんに電話してもらった。すると後少しで来ると言った。しかし12時10分まで待ったが来なかったので、メッセージを残してボダナートに行くことにした。
Mackyは先に来ていたようで、知り合いの人と話をしていた。私に気づくとこっちこっちと手を振った。そして知り合いと別れ、私をチベット古布を扱っているお店に連れて行ってくれた。入った瞬間に「あ、いいな」と思った。理由を上手く具体的に説明できないが、そこにある空気が時間を持っている感じがしたからだ。お店のオーナーの弟が接客をしてくれ、いろいろと説明をしてくれた。チベットから古布を持ってきて、修理しリメイクして作品を売っている。タペストリーやクッションカバーなどが主な作品だ。その他チベットの伝統的な服も扱っている。途中からオーナーであるお兄さんがやって来た。私は自分のデザインで作品を作ってもらえるのかどうかを尋ねた。すると返事はYESだった。私は嬉しくなってまた今度写真を撮り来たいとお願いした。すると快く受け入れてくれた。その後、彼は歴史のことなどを話し出した。最初は聞いていたが、だんだん話が逸れていき収拾がつかなくなりそうだったので、店を出ようとした。すると私たちの気持ちが分かったのか「私はよく人の時間を無駄に使ってしまうのです」と言っていた。私たちは「いえ、ありがとうございました」と言って店を出た。お昼ご飯を食べに近くのガーデンカフェに行った。野菜モモ、フライドポテト、コーラとラッシーを頼んで食べた。私はモモとラッシーを食べたのだが、どちらもおいしかった。本当はMackyの手作りテントゥックをご馳走してもらうはずだったのだが、布屋のおじさんの話が長かったせいでそれは出来なかった。残念だが、次回に繰越ということにした。今日紹介してもらう予定のネパール人のお友達の家に行く前にMackyのお寺に行った。そこはとても静かで周りには田んぼや畑だらけのところだった。ゆっくり流れる時間の中で心が解けていくようだった。Mackyの部屋でジャスミンティを飲みながら日本の音楽を聞いてのんびりした。4時半を過ぎた頃に「そろそろ行くか」ということになった。舗装されていない道を歩き、畑の間を抜けSundarijalの町に出た。そこからは登り道になった。石畳の階段を登って行ったのだが、途中で息が切れてきて少し休憩することにした。サンクーに行ったときもそうだったが、私とMackyといるとよく休憩場所ではない石の上などに座って話をすることが多い。お互い場所にはこだわらないようだ。休もうと思ったときに休めるところが私たちにとっての休憩場所なのだ。そこから見える景色を眺めながらしばし休んだ。慣れていない私が登るのは大変なところに町があるのだが、私はすごく気に入っていた。カトマンドゥを見下ろせる位置にあること、きれいな空気と水があること。最近の疲れ気味の私にとっては癒しの場所だ。息を切らしていた私も復活して、最後の心臓破りの階段を登り切った。そこがSushil君の家だ。その場所に私はさらに感動を覚えた。本当にのんびりとした感じのとても人に優しいところだ。もちろん不便なこともあるだろうし、自然の威嚇も多いだろう。しかしそのマイナス以上のすばらしさがあるように思えた。Sushil君を紹介してもらい、3人で彼の部屋に行った。小さな部屋だったが、きれいに片付けられていた。チャイを頂きいろんな話をした。彼は観光ガイドとトレッキングのガイドと日本語の先生をやっているのそうだ。なので彼の日本語はほぼ完璧。自分では「まだまだ私なんてだめですよ」と言ってはいたが、十分なほど上手に日本語を使っていた。でも残念ながらバスの時間があったのであまりたくさんは話せなかった。また日を改めて来る約束をして帰ることにした。日はとっくに暮れていたのでSishil君に懐中電灯を借りてMackyとまるで肝試しのような道を歩いた。暗いのをいいことにMackyは怖い話をしだした。聞くのが嫌な気もしたが、「一ミリの幽霊って知ってる?」って聞かれたのでつい「知らない。何それ?」と聞き返してしまった。「友達の友達の会社である人が突然何も言わずに会社に来なくなった。そこで同僚が様子を見に行くことになった。家に行ってベルを鳴らしても何の返事もない。そこでドアノブを回してみた。するとカギがかかっていなく、中に入ることができた。会社に来なくなった同僚が部屋の真中でやせこけて座っているではないか。『なんで会社に来ないのか?』と聞くと『俺が出て行くとそいつがかわいそうなんだ』と言った。そこでじーっと見てみるとなんと箪笥の間の一ミリの隙間に女の幽霊がいたのだ。」背筋がぞっとした。改めて聞くと大したことはないかも知れないが、真っ暗な足場の悪い道を歩いているときに聞くのはちょっときつかった。そのうち川の流れる音が強くなり肝試しよりもキャンプ来た感じになった。気分も入れ替えてキャンプのうきうき感を味わうことにした。足元に気をつけながら15分くらい歩くとバス停に着いた。バスがちゃんとくるのかちょっと嫌な予感がしたが、バスが来るのかMackyがその辺にいる人たちに確認したら皆「来るよ」と言った。なので、近くのお菓子屋さんでおやつを食べながら待つことにした。しばらく待ったがバスは一向に来ない。少なからず心配していたのが、案の定その日のバスはもう来ないことが分かった。ティハールのお祭りの最中なので、終バスが早かったようだ。仕方がないので今日はSushil君の家に泊めてもらうことにした。Mackyは歩いて帰れるのだが、Sushil君の家のダルバートが食べたいと言って一緒にまた来た道を戻ることにした。すると道の途中でさっきは気づかなかったが、物凄い数の星を見ることができた。東京では絶対見えないような小さな星も見ることができた。しばらく二人でぼ〜っと星を見ていたら、Sushil君が心配して電話をかけてきた。「20分も経つけど、今どこにいるの?」と。私たちは謝って「今から行くから」といって切った。しかし二人とも動きたがらなかった。もうちょっと星を見ていたかったのだ。Sushil君には申し訳なかったが、しばし星を見てからしか行くことができなかった。彼の家についてさっきと同じように3人でご飯ができるまで話していた。9時過ぎ頃ご飯を頂いた。やっぱりダルバートは家庭のものが一番おいしい。Sushil君の家で採れた野菜やお米を使って作っているので新鮮なのだ。お腹一杯で動けなくなるほど食べてしまった。食事が終わるとMackyは一人でお寺に帰った。私とSushil君は夜の11時ごろまでずっと話をしていた。民宿の計画についていろいろ助言をしてくれて、参考になった。途中で彼の好きなアーティスト花花の「さよなら大好きな人」を一緒に聞いた。その歌詞が他界したおばあさんの為に書かれたというのを聞いて私は思わず涙してしまった。Sushil君をびっくりさせてしまったが、どうしても流れてきてしまったのだ。自分が祖父の他界したときに立ち会えなかったことや自分の家族のこと、そういったことが糸をピンと張ったような現状の私の精神の上に降りてきたのだ。Sushil君の家庭的な家のせいもあったかもしれない。ただただ涙が込み上げてきたのだ。自分でもびっくりしたくらい。Sushil君はその歌を聴いた瞬間に好きになったのだと言っていた。それは彼の父親が、Sushil君が日本に研修に行ってる間に他界してしまったからかもしれない。彼は私にそのときのことも語ってくれた。お互い思い出すこともあるようだったので、そろそろ寝ることにした。
投稿者 satoka : 2006年10月22日 17:12