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2006年10月15日
my nepali life diary 2006 vol.07
10/13〜15
あー、やっぱり寝込んでしまった。ネパールに来るとかならず一度は体調を崩し寝込んでしまう。病院には行かず、薬を飲んで後はひたすら寝て治す。今回の風邪は主に胃だった。発熱と吐き気の為に殆ど二日間何も食べられなかった。さすがにちょっと痩せてしまった。普段なら喜べるところだが、原因が風邪だと喜ぶどころか余計に不安になってしまった。それにしても原因はいったい何だったのだろう・・・?
13日の朝は比較的早く起きたので朝食を食べようと近くのカフェに行った。するとちょうどカフェに着いたときにpalから電話があった。
「今何してるの?」
「朝ご飯食べるとこだよ」
「じゃあ今から行くから一緒に食べよう。」
「オッケー、じゃあ、待ってるね」
と言って切った。10分程してpalが友達と一緒にやってきた。友達はsanghaと言って、彼も日本に住んでいたことがあると言う。Palもsanghaも空手をしていた仲間だそうだ。Sanghaはネパールで空手の先生をやりながら映画の悪役俳優をやっていると言っていた。その日も午後から撮影があるそうだ。私たち3人はコーヒーとクロワッサンで朝食を取った。ここのクロワッサンは焼き立てで外がカリっとしていて、中はもっちり。とってもおいしいクロワッサンだった。私は午前中にやってしまいたい仕事があったので、2人と分かれて部屋に戻った。現地調査リストの英語版。これをメールでRobinに送らなければなかったので急いで作った。ちょうど終わってインターネットカフェに行こうとしたとき、mackyから電話がかかってきた。「今近くにいるからよかったらお昼を食べない?」大きな用事は午後になかったので一緒にお昼を食べに行くことにした。しかし私はすぐに部屋を出られなかった。Deepakさんが外に出かけていて、カギが閉まったままだったのだ。彼に電話をすると「今から帰るところだ」と言った。15分程すると戻って来て、私はmackyと食事に行った。近くにブータン料理を食べられるところがあるとのことで、連れて行ってもらった。二人でシェアしながらブータン料理とfried riceとテントゥックを食べた。特に特徴のある味ではなかったが、食べやすくおいしかった。ネパールについての話をいろいろ聞いた後、明後日はSankhuに行きましょうと約束をした。その後Mackyとは分かれ、私はビーマンバングラデシュ航空のオフィスに向かった。最初は地図通り行ったのだが、地図が間違っていたようで結局30分以上歩いてやっとたどり着いた。ところがたどり着いてみると今日の午後はお休み。そうだった、ネパールは金曜日が日本の土曜日、土曜日が日本の日曜日という感覚なのだ。つまり一週間の休みの日が土曜日。日曜日からは平日。私はビーマンバングラデシュ航空が突然日本への運行を取りやめにしたと旅行会社から連絡を受けたので、チケットのキャンセルまたは代行がどうなっているかを確かめに行った。しかし、開いていないのでまた後日来ることにした。帰り道に体調の悪さを感じたが、メールを送らねばならなかったのでインターネットカフェに寄ってから帰った。さっさとメールを終わらせ、部屋に帰るとベットに倒れこみしばらく眠った。一時間くらいして目が覚めると気分が悪く、吐いてしまった。その後日本から持ってきた薬を飲み、夜まで眠った。夜9時ごろDeepakさんがお茶とクッキーと湯たんぽとベポラップを持って様子を見に来てくれた。お茶を飲みながらクッキーを少し食べた。それからふとベポラップに目が行った。「いったい何をするんだろう?」と思った。すると「これはとてもいいです」と言って、私の顔の周りに塗り出した。私は「結構ですよ」と言ったが全く聞く耳はなかった。顔に塗ってマッサージまでしてくれた。そして顔が終わるとお腹、胸、背中、足。足に塗るためにわざわざ短パンにはき返させられた。もういいと何度も言ったところで彼は一向に止めようとしない。一通り終わったところで湯たんぽをお腹の上に乗っけた。そのまま寝かせてくれるのかと思ったら今度は話をしだした。彼が昔旅行で行ったレバノンで見たキリスト教の女性と犬の話。レバノンでは殆どの男性がみんな戦争に行っているためにキリスト教の女性は皆犬を飼っているそうだ。その犬はしつけられていて女性が服を脱ぐと彼女の体を舐めに行くそうだ。そんな話をいったい何故この病床の私が聞かねばならぬのか?全くもって理解不能だった。頭もぼうっとしていたし、早く寝かせて欲しいと思った。この人は本当に私のことを心配してここにやってきているのだろうか、ちょっと不信感を抱いてしまった。もちろん文化や生活習慣の違いはあるだろうが、断ったことを無理にするのはどうかと思う。何とか夜11時ごろ彼は部屋を出て行った。ベポラップをお腹に塗りたくったせいでか、湯たんぽをお腹に乗せられていたせいか、気分が悪くなり結局さっき食べたクッキーも吐いてしまった。後味の悪いまま、眠りについた。
14日は11時にpalと日本フェアーに行く約束をしていたが、体調が良くならないので断りの電話をした。ところが「あなたの為に来てくれてる人がいるからちょっとでも頑張って来てくれ」と言われた。そう言われてしまうと行かない訳にはいかないので、重い身を引きずって近くまで行って電話をかけた。すると日本フェアーは入場料が500Rp(約900円)もするので近くのカフェにいると言った。そこでpalの連れてきた人たちに会った。Sanghaは撮影の間を2時間抜けて来てくれたようだ。他には日本に18年程住んでいたが最近ネパールに帰ってきた女性とその子供、palの親戚の子3人。合計7人がそこにはいた。わざわざ来てくれた人たちに会えてよかった。遅れて来た私に彼らは全然嫌な顔もせず笑ってその場にいてくれた。たわいもない話を30分くらいして彼らは2時からパーティをするということで別れた。その後せっかく外に出てきたから日本フェアーに顔を出そうと思って中に入った。資寛さんがやっている「コテツ」と言うお店のところに行って、少し休ませてもらった。彼は大忙しで働いていたので日本フェアーが催されている文部省の園内を一周した。小さなブースがいくつかあり、ネパール人の店員らしき人たちと日本人が楽しそうに話をしたり、注文を取ったりしていた。さっと見て周って、コテツに戻ってきた。資寛さんがお味噌汁を一杯飲ませてくれて、「もうそろそ帰って休みな」と言ってくれたので帰ることにした。昨日飲んだ薬があまり効いていなかったこともあり、ネパールの薬は日本の薬よりもだいぶ強いので買っていくことにした。帰るとやっぱり胃が回復していないようでさっきのお味噌汁も吐いてしまった。薬を飲むとすぐに睡魔が襲ってきて、何時間か眠った。目が覚めると何となく気分が良くなったように思ったので、夜ご飯を食べに近所の日本食レストランにいった。薄味のラーメンがいいんじゃないかとさっき資寛さんに教えてもらっていたのでそれを頼んだ。はじめは良かったのだが、やはりまだ胃は受け付けられなかったらしく、部屋で戻してしまった。その日は薬を飲んで早々とベットに入った。今日は誰にも邪魔されずたくさん寝るぞと思いながら。案の定Deepakさんは湯たんぽとベポラップを持ってきた。しかし私は薬のせいもあってすぐにでも眠りにつきそうだった。彼がマッサージをしようとしたので今日ははっきりと「結構です。私は今すぐに眠りたいので、お部屋に戻ってください。」と言った。ちょっと寂しそうに数分黙って座っていたが、「何かあったらいつでも呼んでください」と言って出て行ってくれた。これで今日はゆっくりと眠れる。
今日(15日)は朝からすっきりと目が覚め、シャワーを浴びた。昨日mackyには「体調が悪いので明日はサンクーにいけないかもしれない」と電話を入れておいた。しかし起きてみると元気になっていた。若干だるさは残っていたが、空気のきれいなところに体が行きたがっていた。そこで彼に電話をした。そして10時半にボダナートで待ち合わせをすることにした。タクシーでボダナートまで行った。すると彼は先に待っていたようで手を振って挨拶をした。二人でボダナートのランドマークであるストゥーパ(卒塔婆)の周りを一周ゆっくりと歩いた。チベット人や観光客も同じように右回りに歩いていた。ストゥーパは必ず右回りに歩くものだそうだ。それからサンクーには特にレストランがあるわけではないので、スーパーマーケットで買い物をしていくことにした。パンを買おうと思っていたのだがまだ出来ておらず、りんごとクッキーと抹茶味の飴と水を買った。抹茶味の飴は興味本位で買ったのだがあまりおいしいものではなかった。バスに乗り込みサンクーへ向かった。バスと言っても日本のバスとは比べ物にならないほど小さいものだ。座席が12席程のバンだ。道は少しでこぼこしていて間違っても乗り心地がいいとは言えない。しかし外に見える景色は最高だ。「田舎」と言う言葉がぴったりな田んぼや畑の広がる風景がサンクーまで続いた。一時間もしないうちにサンクーについた。そこはネワール建築が外観に見えるとてもひっそりとした小さな街だった。アンティークともいえる木彫刻の施された外観には感動を覚えた。そこに住んでいる人たちは当たり前のように使っているのだが、やはり日本人である私からすれば「かっこいい」ものだった。街をほんの10分歩くと門があり、そこらかバジュラヨギニ寺院への参道になっていた。サンクーの街は門前町だったのだ。両脇見渡す限りの田畑、その奥に見えるのは山々。そんな道を進んで、寺院に続く石畳の山道に入っていく。休まず登れば45分くらいで寺院まで着くはずだ。だが山登りになれていない私はちょこちょこ途中休みながら登った。最初は石畳の階段の横にあった大きな石に腰を下ろした。水を飲んでにじみ出てくる汗を涼しい風で乾かした。まだまだ先はあるので足を動かした。すると一匹の犬がとことこ私たちに付いて来た。私は日本で飼っている犬を思い出し嬉しくなり「一緒に登ろう」と言って登り続けた。二度目の休憩のときにクッキーを食べることにした。Mackyが付いて来てくれた犬に「チョビ」と名前を付け、クッキーを分けてやった。私も一緒になってあげた。最初はくんくんと匂いをかいで確かめていたがやがておいしそうに食べてくれた。Mackyは「チョビは暇だからついてきてるんだよ」と言っていたが私は何となく「頑張れよ〜」と言ってくれてるように思った。「後一息だ」ということで寺院まで一気に登ることにした。最後の階段はとても急だった。息を切らして登りきったときは達成感があった。しかし残念なことにバジュラヨギニ像のお堂は扉が閉まっていた。そこでmackyは近くにいる人に聞いてみた。すると「もうすぐ開くよ」ということだったので、奥にある茶屋に行くことにした。二階建ての建物の中にもタントラ密教の女神、ウダラ・タラが祭られているそうで、Mackyはお茶屋のおじさんにあそこには入れないのかと尋ねた。おじさんは「お茶を飲んだら開けましょう」と言ってくれた。中に入るとしんと冷たい空気があり背筋をピンと伸ばしたくなった。入ってすぐにある暖炉の火はもう何千年と燃えつづけていると言われているそうだ。一階にある女神像をお参りし、そして二階に登った。そこにはきれいに保存されている像がいた。Mackyはお供え物のバターランプに火をつけお経を読んだ。さすが何年も仏教の勉強をしているだけあり、本当のお坊さんのようだった。私はとなりで静かに合掌していた。お経が終わり、女神像の傍に行きさらに合掌した。一通りお参りを終えて、茶屋まで戻った。おじさんにお会計をすませて本堂の方に戻った。今度は扉が開いており拝むことが出来た。同じくバターランプに火を灯し、Mackyがお経を唱え合掌した。彼曰くここの女神様は強いので世俗的な願いも聞いてくれると言っていた。私はこれからのネパールでの活動が上手くいきますようにと女神像に向かって願いを祈った。拝観を終えて私はとてもすっきりとした気持ちになった。風邪が治ったせいもあるだろうし、ここの空気がきれいなせいもあるだろう。そしてここに祭られている女神のパワーを感じることができるのであれば、そのパワーが私を楽にさせてくれたのであろう。ネパールに到着して一週間、緊張していたものが少しだけ柔らかく解けた気がした。
帰りは行きに比べて随分早く下りることができた。参道の途中にある腰掛で少し休んでからバスに乗った。二人ともお腹がすいたのでボダナートに戻ってダルバートを食べることにした。帰りは行きよりもいい座席につけたので楽だった。ボダナートで食事を取り、その後屋上テラスのあるカフェでゆっくりと話をしながら夕日を見ていた。今日は一日とても清々しく心をきれいにできた。サンクーに連れて行ってくれたMackyにありがとう
投稿者 satoka : 2006年10月15日 16:30