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2006年10月31日
my nepali life diary 2006 vol.24
10/31
朝7時ごろに目が覚め、いろいろたまっていた情報整理や日記などの仕事をやった。結構時間がかかり、疲れてきたのでお昼頃にメールチェックをしに外へ出た。メールは30分くらいで終わり、ちょっとした買い物をしてから、お昼を食べにモモ屋を探して歩いていた。すると偶然MackyのネパールでのおじさんNgawangさんにばったり会った。彼のお寺のリンポチェ(偉いお坊さん)の奥さんと買い物に来ているということだった。丁度彼の車を止めてあるところに現地人相手のお店がったので、そこに入ることにした。そこは奥さんの従兄弟のお店だと行っていた。チャイを飲みながらおしゃべりをしていると奥さんが買い物から戻って来た。挨拶をして一緒にチャイを飲んだ。モモが出来上がり、スープと一緒に出てきた。なかなかおいしい味だった。ちょっとソースが辛かったが、満足できた。Ngawangさんたちは先にお店を出て帰っていった。私はコーヒーが飲みたくなり、適当なお店を探しに行った。そこで午前中の続きの仕事をすることにした。お店の並ぶ通りを歩いていると少し奥まったところにレストランがあった。そこでコーヒーを飲みながら仕事を終わらせることにした。隣に座っていたKopan(僧院)から来ているというお坊さんと少し話した。彼はダライラマがインドのバラナシで講義をするのでその準備の会議の為にタメルに来たのだと言っていた。彼はピザを私に一つ分けてくれた。私はモモを食べたばかりでお腹いっぱいだったが、せっかくのご好意だったので頂くことにした。食事を終えた彼は挨拶をして会議へ向かった。私は仕事を終え、ホテルにパソコンを置きに帰った。何となく疲れを感じていたので、ゆっくり本でも読もうかと思いカフェに行こうと思った。しかし道を歩いているとふと「Manoharさんに挨拶に行っておいた方がいいな」と思い、事務所に行くことにした。彼は事務所にいて、私たちはチトワンのこととビジネスの仕方について一時間程話をした。その後Uttamさんのお店に行き、彼の甥に挨拶をしに行った。しばらくポカラに行ってしまうので、そのことを連絡しておいた。それからカフェに行ってゆっくりと本を読んだ。本を読むと現実から離れることができるので、日々の忙しさに疲れたときにいい。コーヒーを飲みながら自分のペースでくつろぐことができた。時計を見ると6時を指していた。今日はAyakoさんとみんなで飲みに行こうと言っていたので、Palに電話をして待ち合わせをした。彼らの友達でゲストハウスをやっているSurajiさんとPalのお姉さんの子供のSusanと5人でレストランに行った。そこはアサンチョークの近くにあるちょっと見つけにくいところだったが、中は結構きれいなレストランだった。食事もおいしかった。チヂミのようなネワールピザはおかわりをしたくらいみんな気に入って食べた。ここのモモは皮が薄く冷えても食べられる珍しいのものだった。それからネパールのたけのこは最高だった。食事もおいしく、みんなとの話も楽しかったのだが、途中で気分が悪くなってしまったので先に帰ることにした。やっぱり病み上がりのビールがよくなかったようだ。みんなも「風邪だから」といいながら飲んでたのだが、私にはちょっときつかった。部屋に戻り、熱いシャワーを浴びた。体が冷える前に髪を乾かし、明日の荷造りをして寝ることにした。
2006年10月30日
my nepali life diary 2006 vol.22
10/30
ぐっすりと眠り、目が覚めたのは9時ごろだった。体調はだいぶ良くなっているようだ。明後日からポカラに行くのでAsuka travelのRabinさんにHirachanさんのお兄さんのホテルの連絡先と住所を教えてもらわなければなかった。彼に電話をすると「12時ごろに事務所に来てくれると嬉しい」と言われたので、そうすることにした。そこで午前中はシャワーを浴び、たまった洗濯をした。すっきりして、銀行に寄ってからAsuka Travelに行った。歩いて15分くらいで着いた。事務所にRobinさんはいなく、受付の女性が電話をかけて確認をしてくれた。すると彼のお母さんが病気になってしまい、今病院にいるということだった。そこで彼の甥が会社にいたので住所と電話番号を教えてもらいタメルに戻ることにした。タメルに着く頃にPalから電話があり「両替をするのにパスポートがない」ということだった。そこで私が変わりに両替をしてあげることにした。よく行くカフェで待っているというので、私はそこまで歩いた。ホテルを出るときは寒かったのだが、昼間は暑くて薄っすらと汗をかいた。カフェでPalに会い、お金を受け取って両替をしに行った。両替所はカフェの向かいにあったのですぐにカフェに戻って来られた。その後、彼はAyakoさんに会いに行き、私は帽子を送ってもらった送料を払う為にDeepakさんに会いに行った。待ち合わせ場所に車で来たのでとりあえず助手席に乗った。Deepakさんは明日からカルカッタに出張だということで、チケット会社に車を走らせた。そのあと銀行に行くとうので、私は車に乗ったままついて行くことにした。何で彼の用事に振り回されているのか全く分からなかったが、仕方がなかった。おそらくネパール人には普通のことなのだろうが、断りなしに人を連れまわすこともよくある。もしかしたら私が若い女の子だからというのもあるかもしれない。しかし、いちいち怒ってもしかたないので大抵は抵抗しないで、次はどうするのか尋ねたり、自分の予定を伝えたりしている。全て彼の用が終わった後、お昼を食べに日本そばのレストランに行った。おそば屋さんは「ホテルサンセットビュー」の中にあった。一組お客さんが出て行くところだった。その後残されたのは私たちだけだった。そこからの景色はとてもきれいだった。ホテルの敷地には庭が整備されていて静かなところだった。私はとろろわかめそばを、彼は天ぷらそばを注文した。景色を見ながらゆっくりと料理の来るのを待った。ネパールでこんなにおいしいそばが食べられると思っていなかったほど、おいしいそばがやって来た。私はうれしくてあっという間に食べきってしまった。Deepakさんもはじめて食べるそばに満足してくれた。食事を終え私はPalと待ち合わせをしていたのでDeepakさんとポカラから帰ったらまた会う約束をして分かれた。Palは私を民宿の条件にとてもいい場所に連れて行ってくれた。パタンの南東に位置するSATDOBATOというところだ。ヒマラヤ山脈を180度パノラマで見渡せるところだ。私はこの場所がとても気に入った。まだまだクリアしなければならない条件はたくさんあるが、今後の選択肢の一つとして考えて行こうと思った。その後、Palのお兄ちゃんと友達を紹介してもらい、今後Palが日本へ帰った後も連絡が取れるようにしてくれた。そしてPalがおいしいモモ屋が近くにあると言うので食べに行った。スープのようなソースをかけて食べるモモで、現地の人がよく食べるファーストフードだった。初めて食べたのだが、とてもおいしかった。このソースには季節ごとにいろんな味があるようで、またしばらくしたら食べてみようと思った。6時に別の友達に会う約束が会ったので、そろそろ待ち合わせ場所に行くことにした。するとPalは明日の夕方飲み会があるからおいでと誘ってくれた。明日の予定がまだ決まっていなかったので「行けたら行くね」と言って待ち合わせ場所に向かった。経済産業省のGopalさんとその友達と会って挨拶をした後、喫茶店のようなところに入って話をすることにした。Gapalさんは私が経済産業省に行ったとき周りの職員が小娘相手に話を聞いてくれなかったのを目の当たりにして、私の話を唯一聞いてくれた人だった。私が騙されるのではないかと心配してくれていたようだ。そして、彼の友達のKCさんはJaitiという日本のNGO団体で働いている日本語の話せるネパール人だ。ネパールに学校を作ることをやっているそうだ。二人は昔から仲良しなようで、私のことを気にかけて今日紹介してくれることになったようだ。私たちは一時間ほど自己紹介程度の会話をした。Gopalさんの家がバクタプルの方にあり、あまり遅くまでいられないので「またポカラから帰ってきたら会いましょう」と約束をして帰ることになった。この国でははじめてあった人を信用するほど甘くできていない。それでもいい人はたくさんいるので、騙されないよう自分の目を磨くしかないのだ。そんなに悪い印象は受けなかったし、今後嫌でも経済産業省とはかかわりがあるので仲良くしておく必要はあると思った。でも二人とも私のことを心配してくれる優しい人たちだったので良かった。バスでパタンからタメルに帰る途中、Sushil君から電話があった。「今Nirのとこにいるから来て」ということだった。ホテルからも近いので行くことにした。Suhil君は今日タメルで学校の仕事があったのだが、遅くなってタメルに泊まって行くことにしたそうだ。インターネットカフェでおしゃべりとした後、Nirの家に行くことになった。Nirの家はすごく大きかった。42人の親戚が一緒に住んでいるからだそうだ。しかし本当の理由は先祖がラマ時代の大統領だったからだそうだ。そのため彼の家はたくさんの土地をあちこちに持っていると言っていた。彼の部屋で私は11月18日からのカトマンドゥ日本語学院41周年式典用のNirの日本語の文章の添削をしてあげた。そしてダルバートをご馳走になった。お店で食べるよりずっとおいしかった。それから3人で楽しくおしゃべりをした後、11時頃にホテルまで送ってもらった。やっぱりタメルに戻ってくると何かとやることが多いなと実感した一日だった。
2006年10月29日
my nepali life diary 2006 vol.21
10/29
朝5時半に起きてバードウォッチングに行った。朝靄の中にゆっくりと暖かい光が射してくる。川べりを歩きながら鳥を探す。小さな鳥たちがピーピーと歌いながら空中を飛び回っている。対岸に佇んでいる鳥を望遠鏡で覗く。すると画面に飛び込んでくる鳥が川向かってくちばしを向けた。さっと浮かんではまた川面に向かう。鳥を追い掛け歩いて小さな森まで入っていった。高い木の上に止まっている鳥たちが光を受けて光っているようだ。ゆっくりと日が高くなり私はホテルに戻った。そしてAtmaさんと朝食を取り、荷造りをしてホテルを出た。バス停に行く前にAtmaさんの所有しているロッジに連れて行ってもらった。現在は公式には使われておらず、管理をしてくれている人のお客さんだけが使っているということだ。以前はお客さんが多かったようだが、2001年に起こった王室事件後観光客は大幅に減ってしまったそうだ。その為に彼はホテル経営を辞めたと言っていた。そのロッジは10部屋あり、少し離れたところにスタッフ用の部屋と倉庫があった。各部屋にはお風呂が付いていた。小さなレストランがあり、なかなかいいところだった。そこからジープで5分くらい移動し、川を渡ってバス停に着いた。出発まで30分くらいあったので、Atmaさんと話をしながら待った。バスが出発するとチトワンを出るまで何ヶ所か(おそらく)バス停に止まった。そのうち一ヶ所から乗ってきたお客さんはかなりたくさんの荷物をもっていた。全てバスの上に乗っけて運ぶのだが、載せるのに10分くらいかかっていた。普通のバスの場合は追加料金が必要だが、ツーリストバスにはかからない。そのため大荷物がある現地人はツーリストバスを利用する。お昼休憩までは一度も止まらずに進んだ。行きと同じ休憩ポイントでお昼と取ることになった。30分しかなかったので、ゆっくりは出来なかったが、お腹一杯になってバスに乗り込んだ。バスが動き出すと眠気が襲ってきてうとうとした。しかしバスの揺れが結構あったのでしっかりと眠ることはできなかった。途中バスと大型トラックがぶつかり玉突きでもう一台ぶつかったと思われる事故現場を通り過ぎた。一台はひっくり返っており、一台の前方は大きくえぐれていた。乗客がどうなったのかは全く分からなかったが、かなり大きな事故だったようだ。いつこういうことが起こるか分からないので、緊張してしまった。そのままバスは進み、約6時間かかって終点にたどり着いた。ホテルまでは距離があったので、Atmaさんとタクシーを捕まえた。タクシーを降りるときにAtmaさんにお礼を言い、ホテルに帰った。部屋に着くと一気に疲れが出てきた。チトワンに行く前日に初めて会った人に二泊三日案内をしてもらっていたことに、大分気を使っていたようだ。それから朝晩の気温差のせいもあっただろう。軽い寒気がしたのだが、三日間メールのチェックをしていなかったので、重い体を動かしてNirのインターネットカフェまで行った。30分くらいでメールチェックを終えると本格的に頭が痛くなり、熱が出てきた。Nirに体調が悪いことを言うと、「薬を飲むこと」「水をたくさん飲むこと」「肉を食べないこと」「あまり体を動かさないこと」「肺に息をゆっくり吸って吐くこと」などたくさんの指示をもらった。ネパール人の中でも風邪が流行っているようだ。そして早く体調を良くしたいと思い、ホテルに帰った。部屋にパソコンを置き、薬を買いに外へ出た。薬を買って、少しは食べ物を食べなきゃいけないと思ったので、軽く日本食レストランでうどんを食べた。帰りにジュースとクッキーを買って、ホテルに帰った。するとRobinから電話があり「今からお茶をしないか」と言ってきた。私は「風邪を引いているから今日は会えません」と言ったのだが、ホテルまで行くと言って聞かなかった。仕方なしに、待っていたが彼は30分遅れてやってきた。私は頭が回っていなかったが何とか話をした。しかし最後まで結局何の為に彼が来たのか分からなかった。とりあえず私は明後日のポカラ行きのことについて時間の確認をしておいた。彼がたばこを吸おうとしたので私は「お願いだからここで吸うのは止めてください」と言った。たばこの臭いを嗅ぎたくなかったのだ。すると彼はやっと私が体調が悪いことを分かってくれたようで、「では僕は帰りますね。お大事に」と言ってホテルを出て行った。こういったことはネパールではよくある。毎回気にしていたら切りがないので、受け入れるしかない。部屋に戻りNirに言われた通り水をたくさん飲み、薬を飲んでベットに潜り込んだ。
2006年10月28日
my nepali life diary 2006 vol.20
10/28
朝6時に起床。ホテルのスタッフが6時半に朝食だと呼びに来た。7時半からジャングルウォーキングのプログラムだったのでその前に食事をすませておくことになっていた。ジャングルウォーキングのスタート地点までは一本の木から作られたボートで川を下って行った。途中ワニが横たわって寝ているのを見かけた。遠すぎてあまり細部までは見られなかったが、野生のワニをはじめて見た。空を飛ぶたくさんの鳥を見ながらのんびりと進んでいった。途中で一緒に乗っていた二人が降りた。そしてだいぶ下ったところでボートを降り、ジャングルの中の踏み込んで行った。歩き出す前にガイドが注意事項などジャングルの歩き方を教えてくれた。そして木と草の生い茂るジャングルに入って行った。小さな虫や、花が「ここがうちだよ」と教えてくれているようだった。緑の葉を付けた木や草を掻き分け歩いて行くと、途中に野生の猿がいた。体は白い毛で覆われており、顔は黒かった。高い木の上を行ったり来たり飛び回っていた。下から見上げて見ていたのではっきりとはわからなかったが、尻尾の長いかわいい猿たちだった。そのまま歩き続けると頭の上を覆っていた葉っぱが晴れ、明るい場所にでた。大きなススキが両側に並び、その間を進んだ。上から見回せるように休憩所が簡単に作られており、そこで少し休んだ。そこにいると回りは全て自然。人的に作られているのは今座っている休憩所だけだ。たくさんの自然の中にいるたった小さな一人の人間。本当に小さなものだ。それなのに人間は自然を少しずつ、でも明らかに削り取っていっている。しかし同様にどんどん減少していく自然を守ろう、増やそうと努力している人間もいる。自分が地球上のどの位置にいるのかをきちんと認識して、今自分のやらなければならないことやできることを確実に実行していくことがとても大切だと思った。それからさらにジャングルを進んで行ったが結局動物は猿以外会うことができなかった。約3時間ほど歩いて来たときと同じボートに乗ってホテルに戻った。次のアクティビティまでは大分時間があったので、コーヒーを飲みながら日記を書くことにした。レストランに行って日記を書いているとAtmaさんがやってきた。会議が終わったようだ。そして私は日記を書くのをやめ、彼とおしゃべりをした。そのうちネパール語を教えてもらうようになりお昼を食べながらたっぷり2時間ほど授業をしてもらった。暗記をするのは難しいが、かなり分かりやすく教えてくれたのでとっても助かった。それから午後には象に乗ってジャングル散策のアクティビティがあったので、スタート地点まで歩いて行った。象の背中に4人と象飼いが一人乗って、ジャングルに入って行った。象の動きに揺られながら草木の茂る道をぐんぐん進んで行った。おそらく人間では通れないような道を象はなんなく進んでいく。午前中のジャングルウォーク同様に自然の大きさを肌で感じることができた。途中孔雀や野生のにわとり、サイの親子に出会うことができた。サイの親子はすごくかわいかった。人間に慣れているようで、全く動じずに草を食べていた。その日によって動物に会えない日もあると言っていたので私たちは比較的ラッキーだったようだ。ジャングルを抜け、川に出た。象はその川を渡って対岸に着いた。象に揺られながら川を渡ることで、自然と動物の共存のあり方を実感したように思えた。人工的な都会に住んでいると忘れがちな本当の自然のあり方、強さ、時に見せる牙。そういったものを知ることを忘れてしまう。ガーデニングや人工的な公園に行って、自然を分かった気になるのは危ないことだと思った。いかにして太古の人類から現代人に成長していったかに意識をもついい機会になった。象に乗って約2時間、初めての体験ができてとても楽しかった。今晩はゆっくりとAtmaと夕食を取って、明日の為に早寝をすることにする。
2006年10月27日
my nepali life diary 2006 vol.19
10/27
朝5時半に起きて出かける準備をした。ホテルに持っていく必要のない荷物を預けて、6時半にバス停に行った。すると丁度Atmaさんも来た。7時出発なので、バスの外で待つことにした。少しおなかがすいていたのでビスケットを買っていくことにした。バスが動き出してからビスケットを食べながらAtmaさんと話していた。でも睡眠時間が4時間半だったので、眠くなってきた。Atmaさんに断って寝ることにした。しかしネパールのバスは快適ではない。道はかなり舗装されてきているので悪くはないが、バス自体が古い。その上今回乗ったバスは調子が悪かったようだ。眠たいのに眠れない状態のまま一時間くらいが過ぎた。山道に入った途中で一度バスが止まった。やはりどこか調子が悪いようで、エンジンなどを調べていた。何とか持ち直したみたいで出発した。私は何度も寝ようとしたが結局寝むれずに、最初の休憩地点についた。私たちは朝食を摂ることにした。野菜のサンドウィッチとミルクコーヒーを飲んだ。味には期待していなかったのだが、空腹のせいもあっておいしかたった。30分ほど休憩した後、チトワンに向けてバスは出発した。バスの調子が悪かったせいで普段なら5時間くらいで着くところを6時間かかった。終点でバスを降り、迎えのジープに乗ってホテルに向かった。ホテルは川の傍にあるその名も「リバーサイドリゾート」。ついてすぐに昼食を取ることにした。そこで私がチトワン滞在中に体験するアクティビティについて説明を受けた。まず最初に象の飼育をしてるところの見学が一時間後にある。昼食を終え、自転車で3キロ先の象の飼育センターに行った。すると運良く野生のサイが近くにいるとの情報が入った。早速探しに行ってみると、確かにいた。一匹のサイがのそっとそこにいたのだ。距離が遠かったため細部まで観察することはできなかったが、チトワンに来て最初の驚きだった。サイを見たあと、象の飼育の仕方や特徴について説明を受けながら観察した。小象はとってもかわいかったが、象は象なのであまり近づかないようにと注意された。でも柵ごしでは触れることができた。象の皮膚は硬くてしっかりとしている。遠目でみると毛はないように見えるのだが、ちゃんと全身に生えている。母象は小象のことを3年くらい面倒をみるのだが、もし人がその期間に小象にちょっかいを出すようなら母象が人間を殺すこともあると言っていた。どんな動物でも母親の子供に対する愛情は変わらないのだろう。象を見た後ホテルに戻り、シャワーを浴びた。チトワンはカトマンドゥに比べてだいぶ暑い。朝晩は冷え込むが昼間は半そでで汗をかくくらいだ。シャワーを浴びてレストランでお茶を飲んでいるとAtmaさんがやってきた。彼は私が象の飼育センターに行っている間、いろんな人に挨拶をして周っていたのだ。夕方、私たちはタルー族のカルチャープログラムを見に行った。昔から行われているタルー族のダンスを見た。木の棒を使って何人もの男の人たちが円形を回りながら音を出していく。中央には太鼓を叩く人が二人いて、ベースのリズムを取っている。迫力のある動きと音にびっくりしたが、とても魅力的ないいパフォーマンスだった。その後ホテルに戻り夕食を取った。今日一日の体験についての話やホテル経営についての話、Atmaさんが日本にいた頃の話などしながらゆっくりと食事できた。
2006年10月26日
my nepali life diary 2006 vol.18
10/26
朝一で昨日のヨーグルト屋さんに行った。せっかく見つけたおいしいヨーグルトなので、食べられるときに食べておこうと思った。Palと一個ずつ買って食べた。ヨーグルトに満足してからチャイを飲もうと次のお店を探すことにした。丁度「シェル」という米の粉と水と砂糖を混ぜて作った生地をヤクのバターで揚げる食べ物を作っているお店があった。そこでチャイを頼み、シェルをかじった。食感がとてもよくおいしかった。ちいさな粒粒したものが混ざっていたのが特徴的だった。おなかもいっぱいになり、朝のヒマラヤを見に近くの寺院のある高台まで行くことにした。昨日よりも雲がなくきれいに見ることができた。こんなにたくさんヒマラヤを見られたのは久しぶりだったので、本当によかったと思う。おなかも目も満足してPrakasの家に行くことにした。彼の家で彼の作品集やサンプルなどを見せてもらった。ネパールではあまり見たこともない服が多かった。それもそのはず、彼は海外に輸出するものしか作ってないのだ。どんなところで作っているのか興味があったので、工場を見せてもらうことにした。建物はあまりきれいではなかったが、たくさんのミシンが置いてあった。作業員はティハール明けだったので少なかった。4階建て建物を一階ずつ見せてもらいながら最上階まで上がり、もうすぐ輸出をするという商品を見せてもらった。スポーツのベンチコートとジャケットだ。フランスのチームのロゴが入った特注品だった。質はそんなによくなかったが、安かった。どんなデザインであれ、発注があれば製作すると言っていた。一通り見せてもらったあと、彼の工事中の家を見せてもらった。40部屋くらいあり5階建ての家を作るそうだ。まだその全体像は見えなかったので、出来上がるのが楽しみだ。Prakasの家に戻ると彼は私にジャケットを一枚プレゼントしてくれた。私は物凄くびっくりした。「いいから着てみて」と言われて着てみるとサイズはぴったり。ちょっと中国風なジャケットを私は気に入った。Palはそろそろ家に帰らないといけないということで、今度は日本で会うのを約束して別れた。11/11に日本に帰ると言っていたので、おそらくネパールではもう会えないだろう。私はPrakasに案内してもらい美術館に行った。ロイヤルアートミュージアムに最初に行った。古いタンカや石像があり見ごたえがあった。かなり古いものがきれいに保存されていた。ただ、美術館内はそんなにきれいではなかったが。その後Prakasのお店に行って一緒にお昼ご飯を食べることにした。バクタプルで一番大きな五重塔を見ながら食べられるカフェに入った。ビールを一杯ずつ飲みながらゆっくりと食事をした。トマトとチーズのマカロニを頼んだのだが、味はまあまあだった。それでも場所のよさのお陰で楽しい時間を過ごせた。食事を終えてもう2つの美術館に行った。木の彫刻と青銅器のある美術館だ。両方で古いものを鑑賞することができた。古いものを見られて、バクタプルの街の雰囲気も感じることができ、満足したところでそろそろカトマンドゥに帰ることにした。帰りはビザの更新をしなくてはならなかったので、バスでイミグレーションオフィスの近くまで行くことにした。約30分くらいで着いたのだが、バスを降りてからまた15分くらい歩いた。はっきりした場所が分からず、近くにいたおじさんに尋ねてみた。その人は英語があまり通じなかったのだが、さらに別の人に聞いたりして私を最後まで連れて行ってくれた。その間ずっと疑問だったのだが、彼は何をしていたのだろう?聞いても理解してもらえなかったので分からずじまいだ。イミグレーションオフィスで30分くらいかけてビザの申請をした。パスポートを預けての申請なので、夕方5時前に取りに来なければならない。イミグレーションオフィスからは荷物が結構あったので歩いてホテルに戻ることにした。そしてメールのチェックをしにインターネットカフェに行った。そんなに溜まっていなかったのだが、終わると4時半近くになっていたので急いでホテルにパソコンを置きに帰り、イミグレーションオフィスに向かった。5時ちょっと前に着き、無事ビザの更新を終えることができた。その後、明日からのチトワン行きの詳細を聞く為にManoharさんの所にいった。するとそこには彼の親戚のAtmaさんがいた。私は明日から二泊三日のチトワンに彼と一緒に行くことになった。何故ならばチトワンで泊まるホテルの持ち主だからだ。現在は他の人にレンタルしているので、彼はカトマンドゥに住んでいる。明日の約束をしてから私はDeepakさんのところに行った。バンコクの友達が私の忘れものをDeepakさんのところに送ってくれたので、それを取りに行ったのだ。チャイを入れてもらい少し話しているとPrakasに昨日紹介してもらった海外発送を扱っているお店の人から電話があった。夕方会う約束をしていたので、私はDeepakさんの家であまりゆっくりできず、彼との待ち合わせ場所に行った。私は彼に帽子を日本に送ってもらうのをお願いしたのだ。そのとき私は帽子を持っていなかったので、車でホテルまで行ってもらった。帽子を部屋に取りに行き彼に渡した。外国人が街の運送屋さんに行くと結構高いのだが、彼は最低価格まで下げてくれた。この辺りがネパール的なところだ。お金を落としていく外国人からはできるだけ多く取ろうとするが、友達の紹介になるとすごく親切になる。もし騙すようなことがあると本人同士の人間関係も崩れてしまうからだろう。もしかしたら裏があるのかもしれないが、それを推し量ることは難しい。あらゆる可能性を考えた上で相手を少しだけ信じていくことが大事だと思う。送料について話した上で、彼は一番安い方法で送ってくれると約束してくれた。それからお互い夜ご飯を食べていなかったので、食事をしに行った。そこで私は梅酒を飲んだ。ネパールで梅酒を飲めるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。しかし銘柄を選ぶことはもちろんできず、チョーヤだった。つまみを食べながらお互いについて話していた。彼の名前はDeepak。つい先ほど荷物を預かってくれた友達と同じ名前だ。ネパールでは神様の名前をつけたり、縁起のいいことの名前を付ける習慣があるので同じ名前に出くわすことは多い。PrakasとDeepakさんの関係はPrakasの商品をDeepakさんが海外に輸送するという関係だそうだ。しかし、ただ仕事関係だけではなく友達としても仲が良さそうだった。つい昨日もPrakasがDeepakさんの子供にジャケットをプレゼントしたと言っていた。話をしているとDeepakさんもいい人そうだということが分かってきた。「近々時間があれば家族を紹介するから家に遊びにおいで」と誘ってくれた。ビジネスに対しても慎重な考えを持っているので、これからも付き合っていけそうだ。食事の途中でダッカで一緒の飛行機だったJから電話があった。「今タメルに帰って来ている」というとだった。なので、食事が終わってからJに会うことにした。Deepakさんは待ち合わせ場所まで送ってくれた。また会う約束をしてDeepakは帰っていった。Jは相変わらずな感じだった。Jは二十歳なので私には弟のように思えた。二人で近くのバーに行き、そこでビールを飲みながら彼のアンナプルナトレッキングの話や最近の私の話をした。明日は早起きをしなくてはならないのでそんなに長くはいられなかったが、楽しい時間を過ごせた。彼の泊まっているゲストハウスは私のホテルの先だったので、一緒に私のホテルまで歩いて行った。Jともまた会えたら会おうという約束をして分かれた。今日は随分いろんなことがあった一日だった。明日はチトワンに行くし、もう遅いので寝ることにした。
2006年10月25日
my nepali life diary 2006 vol.17
10/25
朝、palから電話があった。バクタプルに行く予定だったが、10時まで交通機関のストライキがあるので様子をみようということだった。ネパールではしょっちゅうあることだ。労働者のストライキ、ごみ収集組合のストライキ。結果として何かが改善されたかどうかは定かではない。今後のストライキの状況がどうなるのか10時過ぎにならないと分からないので、ゆっくりと朝食を摂ることにした。ロータスに行き和食セットを頼んだ。ご飯とお味噌汁、とろろにスクランブルエッグ。さらにお漬物と食後の緑茶が付いている。これで約190円。日本では考えられない値段だ。現地の食事であれば100円もあれば十分食べられる。朝からのお味噌汁は最高だった。海外旅行に行って、日本食を食べたくなることはあまりないのだが、お味噌汁だけは別だ。一番好きな食べ物なので、できれば毎日食べたいくらいだ。久しぶりの和食だったので、食べ過ぎてしまった。満腹を和らげようと思い、ビーマンバングラディシュオフィスまで帰国のチケットの確認の為に歩いて行くことにした。しかし、まだカトマンドゥからバンコクの席がキャンセル待ちのままだった。再度また確認しに来てくださいと言われたので、一旦ホテルに戻ることにした。部屋に着くとPalから電話がかかってきた。ストライキが終わったようなので、一時間後によく行くカフェで待ち合わせをすることにした。私は少し早めに行って待つことにした。アイスカフェラテを飲みながらスケジュールの調整をした。11/2にポカラで友達の結婚式があるので、予定がかなりタイトになっていたのだ。そのことでちょっと気疲れしていたが、どうにかやることを2日までに終えられるよう調整した。そうしているうちにPalが来た。30分くらいネパール語を教えてもらいながらお茶をした。今日は朝からストライキがあったため道がすいていたそうだ。カフェを出てバクタプルまでは約30分だった。あっという間に着いたのでPalが「今日は天気がいいし、道もすいてるからドゥリケルまで行って、ヒマラヤを見よう」と言った。私はその案に大賛成した。ドゥリケルまでは約30分くらいで着いた。理由は分からなかったが現在閉鎖中のヒマラヤサングリラリゾートに入れたので、景色のよく見えるところまで登った。そこからは雲の合間に顔を出すヒマラヤ山脈があった。とても静かでのんびりとできるところだったので、しばらくヒマラヤを眺めながらぼ〜っとしていた。ネパールにはお金で買えないものがある。ここでしか味わえない空気や景色。それらは写真から伝わるものではない。自分で感じるしかないのだ。だからこそ私はネパールが好きなのかもしれない。上手くいかないことや時間にルーズなところは日本に比べて多いが、その分日本では得られないものがここにはある。それらをもっと知りたいと思った。
ヒマラヤサングリラリゾートを出て、昼ご飯を食べにレストランに入った。野菜オムレツとモモ、野菜トゥクパを頼んだ。ここで出てきたモモのソースは最高だった。私が今まで食べた中で一番おいしかった。もっと食べたくてお店の人にソースのおかわりをお願いしてしまったくらいだ。トゥクパも素朴な味がしてよかった。食事を楽しんでいるとMackyから電話がかかってきた。今ドゥリケルにいることを言うと、「是非パナウティに行くといい」と教えてくれた。バクタプルからドゥリケルに来る途中にあるバネパから近いところにある寺院のたくさんあるところだそうだ。私は行ってみたくなりPalにお願いして、一緒に行くことになった。暖かい日が稲穂を黄金色に染める中、風を切りながらバイクを走らせた。ついてみるとパナウティは小さな町でとても静かで川のきれいなところだった。たくさんの果物のお店に迎えられた。これらの果物は山に住んでいる人たちが持ってきては売っているそうだ。昔話でここには2つの川が流れており、三つ目の見えない川と交わるところだと聞いた。小さな寺院や像があり、のんびりとした時間の流れているところだ。一番大きな寺院でシバを拝んだ。扉は閉まっていたのだが、木を組んで作られた扉だったので中を覗き見ることができた。真っ暗な中にかすかに浮かぶ像に重みを感じだ。パナウティに偶然にも来られたことに満足して、バクタプルに向かうことにした。バネパの混雑した町を抜け、バイクからの景色を見ていた。するとヒマラヤを見渡せるところに出た。来るときには雲で隠れていて気づかなかったが、日暮れの光が山々を薄いピンク色に染め、それはすばらしい美しさだった。私が感動しているとPalがバクタプルのすぐ近くの高台にある寺院に連れて行ってくれた。そこからはバクタプルの街を一望することができ、古都の赴きを持った街の奥にヒマラヤ山脈を望むことができる。そこには絵葉書からは伝わらない良さがあった。景色に満足して、チャイを飲みながら休んでからバクタプルの街に入ることにした。友達に紹介してもらったゲストハウスに荷物を置いて、少し散歩をすることにした。街は夕暮れの灯りを灯し、独特の雰囲気を出していた。バクタプルのヨーグルトはおいしいと聞いていたので、食べてみることにした。しかしどのお店がいいのか分からなかったので、小さなお店のおじさんに聞いてみた。すると近くに「一番」おいしなとこがあると教えてくれたので、早速行ってみた。小さな小道にぽつんとあるお店で、普通に歩いてたら気づかないかもしれないところだった。食べてみるとさすが現地の人が教えてくれただけあって甘すぎずとてもおいしかった。それは小さな陶器に入ったバクタプルらしいヨーグルトだった。その後街をぶらぶらして、ゲストハウスに戻ることにした。途中でPalの友達のPrakasに会い、一緒に夕食を取ることになった。彼らは18年ぶりくらいの再会だと言っていた。久しぶりだったのでネワール語でたくさん話をしていた。私には全く理解できなかったが、楽しそうなのは伝わってきた。Prakasは外国向けの洋服を作っている輸出会社をやっている人だ。仕事が上手くいっているようで、今新しい家を作っているところだと言っていた。そこで明日の朝Palと一緒に洋服や工場を見せてもらうことにした。彼は貧しい子供たちが学校に行けるよう、金銭的に援助をしているそうだ。自分の為に働く人が多い中で「自分はそんなにお金持ちになりたい訳じゃないから彼らに勉強してもらった方がいい」と言う考えを持つ人に出会えたのはとてもよかった。ネパールにいるといつも感じるのだが、一人友達ができると五人くらいできたことになっている。その中でもいい人と馬の合わない人がいるが、Prakasはいい人だった。
2006年10月24日
my nepali life diary 2006 vol.16
10/24
今朝は午前中にSushil君にタメル近くに住む日本語の話せる女性を紹介してもらうことになっていた。9時半にSushil君がホテルに来てくれる予定だったのだが、一時間ほど遅れると連絡があった。そこで私はコーヒーを飲みに行くことにした。暖かい日差しの下でミルクコーヒーを飲みながら本を少し読んだ。随分薄味なコーヒーだったが幾分か頭がすっきりした気がした。10時20分くらいにホテルの部屋で待っていると電話が鳴ってSushil君が着いたことを告げた。二人でホテルを出て覚えにくいカトマンドゥの道を歩いた。途中でSushil君の日本語学校の先生友達がフレッシュフルーツジュースを飲んでいるところに出くわした。私たちも一杯飲んでいくことにした。今回ネパールに来て初めて飲んだのだが、その場で絞ってくれるジュースはおいしかった。すっきりと飲めて満足だった。そのジュース屋さんから程近くにSushil君の友達、Paluの家はあった。家に上がらせてもらい、お互いの自己紹介をした。彼女はきれいな顔立ちをしており、話し方はしっかりと意見を言うような感じだった。最初の印象はとてもよかった。今日はティハールの最終日、バイティカ(「バイ」とは弟のことで、姉妹が兄弟に花輪を捧げ、「ティカ」という額に付ける赤い印を与え、ご馳走を振舞う)の日の為に忙しいので、後日改めて会う約束をして家を出た。次にSushil君が連れて行ってくれたのは、観光ガイドと日本語学校の先生とインターネットカフェをやっている友達Nirのところだ。NirとSushil君は同時期に日本語を勉強し始めた同級生と言った感じだ。Nirの方が少し年上だそうだ。冗談をよく言い、その場を明るくするタイプのNirは早速私の頬に「何か付いているよ」と言って、私の頬を軽くつねった。Sushil君は「いつもこんななんだよ」と笑っていた。午後からSushil君は通訳の仕事があるので、私たちはNirのインターネットカフェを後にした。私は夕方また来る約束をした。Sushil君と私はパン屋さんで各々好きなパンを買って食べた。少し温めてもらってお行儀悪く立ったまま食べた。そこのパンはおいしいと聞いていたので、期待して食べた。私が選んだのは「ベジタブルマッシュルームのキッシュ」。感想は味付けがしっかりしていておいしかった。出来たら作りたてが食べたいなと思った。その後Sushil君と分かれて私は一人散歩をすることにした。殆どの店が閉まった、少し静かな空気を持った街をしばらく歩いてから近くにあったカフェに入った。そこは食事が中心のレストランだったようだが、私はミルクティーだけを頼んだ。すると店員は「え、それだけ?」と言った嫌な感じで注文を受けた。私は近々のスケジュール調整をした。ティハールの間は殆ど何もできなかったので、予定が結構押していた。その上どうなるかまだ分からないこともあるので確定したスケジュールを立てることは不可能だった。それでもある程度は決めておきたかったので無理やり仮のスケジュールを作った。その後少し本を読んでゆっくりしてからホテルに帰った。ホテルでは日本に送らなければならない帽子の価格リストとナンバリング作りをした。明日はティハール明けの為に、郵便局が大賑わいになる予想がされるので明後日行くことにした。ちょっとしたバイヤー気分でしっかりと落ち目がないように確認しながら作業をした。終わってから今度はNirのインターネットカフェに行くことにした。1時間弱メール等をした後でNirと話をした。そしてNirは民宿について彼の意見を言ってくれた。その多くは実際の良くなかった出来事だった。私はそういった失敗談を聞く必要があると思う。初めから甘く考えていると必ず大きな落とし穴がある。そのときにしっかり頭が機能するように今から知っておく必要がある。その他、明日私がバクタプルに行くので宿の情報や入るときの注意などを聞いた。7時ごろになってお腹が減ってきたので、私はNirのお店を出て、モモを食べに言った。本当は日本食が食べたかったのだが、今日はどこも休みだったようだ。帰りにスーパーに寄ってクッキーを買ってホテルに戻った。今日は少しゆっくりと一日を過ごせたので体が休めた。
2006年10月23日
my nepali life diary 2006 vol.15
10/23
朝はSushil君に「もう7時だよ」と言われて起こされた。私はまだ頭がぼ〜っとしたまま歯磨きをしに外に下りて外に出た。朝の景色は最高だった。靄が山の麓にありその下に街がある。そこで人が生活しているのが嘘のような感じだった。ブラックティを飲みながら二人で景色を見て話をした。「ミルクは山の上の方から毎日運ばれて来るのだが、まだ届いてない」と言っていた。Sushil君の手入れしている庭をいろいろ見せてくれた。彼は庭弄りが大好きで「リフレッシュできる」と言っていた。部屋に戻って、Sushil君の日本語の勉強の手伝いをしたり、ネパール語を教えてもらったりしてお昼ご飯までの時間を過ごした。11時頃Sushil君の家庭のダルバートをまた頂いてしまった。昨日とほぼ同じなのだが、おいしい。やっぱりおいしい。Sushil君も自分の家のご飯が一番だと言っていた。食べ終わると帰る支度をした。家族のみんなにお礼を言い、Sushil君と一緒にバス停まで行った。バスはなかなか来なかったが、30分後くらいには乗ることができた。明日また会う約束をしてSushilくんと分かれた。約一時間程かけてカトマンドゥに戻ってきた。帰りがけに最近寒くなってきたので暖かくできるものを買おうと思った。カーディガンとブランケットを一つずつ買った。両方とも現地の人たちの買う店で買ったのでとても安かった。どちらも500円もしなかっただろう。これからどんどん寒くなってくるから必需品だ。部屋に戻りManoharさんに電話をすると、「今なら事務所にいるから会える」ということで行くことにした。チトワン国立公園に行く日程の話をすると、まだ日程は決められないということだった。そこで夜7時半頃から一緒に食事をする約束をして、私は航空券の確認の為にビーマンバングラデシュオフィスに行くことにした。ところが今日は休みだったので結局ホテルに戻ることにした。メールのチェックと溜まっていた書類の整理をして、再度Manoharさんの事務所に行った。モモとナンとほうれん草のパニールカレーを食べて、ネパールのお酒ロキシーをジュースで割って飲んだ。ロキシーはアルコール度が結構高く、たくさんは飲むことができなかった。でもおいしい食事とおいしいお酒で楽しい夕食を共にすることができた。
ホテルに戻るとKiramがいてネパール語を教えてくれた。「毎日10単語を覚えていけばすぐに話せるようになるよ」と教えてくれた。分かりやすいようにネパール語を教えてくれて嬉しかった。明日からも頑張る気が沸いてきた。
2006年10月22日
my nepali life diary 2006 vol.14
10/22
約束をしていたので、11時にManoharさんの事務所に行った。すると彼はまだ来ていなかった。スタッフのNarayanに聞いたらあと30分くらいで来ると言ったので、待つことにした。途中で一度電話をかけたのだが出なかった。暇に時間を過ごすのももったいないので、ネパール語を教えてもらうことにした。チャイを飲みながらゆっくりと教えてもらっていたら、12時近くになってしまった。12時半にボダナートでMackyと会う約束があったので、もう一度会社からManoharさんに電話してもらった。すると後少しで来ると言った。しかし12時10分まで待ったが来なかったので、メッセージを残してボダナートに行くことにした。
Mackyは先に来ていたようで、知り合いの人と話をしていた。私に気づくとこっちこっちと手を振った。そして知り合いと別れ、私をチベット古布を扱っているお店に連れて行ってくれた。入った瞬間に「あ、いいな」と思った。理由を上手く具体的に説明できないが、そこにある空気が時間を持っている感じがしたからだ。お店のオーナーの弟が接客をしてくれ、いろいろと説明をしてくれた。チベットから古布を持ってきて、修理しリメイクして作品を売っている。タペストリーやクッションカバーなどが主な作品だ。その他チベットの伝統的な服も扱っている。途中からオーナーであるお兄さんがやって来た。私は自分のデザインで作品を作ってもらえるのかどうかを尋ねた。すると返事はYESだった。私は嬉しくなってまた今度写真を撮り来たいとお願いした。すると快く受け入れてくれた。その後、彼は歴史のことなどを話し出した。最初は聞いていたが、だんだん話が逸れていき収拾がつかなくなりそうだったので、店を出ようとした。すると私たちの気持ちが分かったのか「私はよく人の時間を無駄に使ってしまうのです」と言っていた。私たちは「いえ、ありがとうございました」と言って店を出た。お昼ご飯を食べに近くのガーデンカフェに行った。野菜モモ、フライドポテト、コーラとラッシーを頼んで食べた。私はモモとラッシーを食べたのだが、どちらもおいしかった。本当はMackyの手作りテントゥックをご馳走してもらうはずだったのだが、布屋のおじさんの話が長かったせいでそれは出来なかった。残念だが、次回に繰越ということにした。今日紹介してもらう予定のネパール人のお友達の家に行く前にMackyのお寺に行った。そこはとても静かで周りには田んぼや畑だらけのところだった。ゆっくり流れる時間の中で心が解けていくようだった。Mackyの部屋でジャスミンティを飲みながら日本の音楽を聞いてのんびりした。4時半を過ぎた頃に「そろそろ行くか」ということになった。舗装されていない道を歩き、畑の間を抜けSundarijalの町に出た。そこからは登り道になった。石畳の階段を登って行ったのだが、途中で息が切れてきて少し休憩することにした。サンクーに行ったときもそうだったが、私とMackyといるとよく休憩場所ではない石の上などに座って話をすることが多い。お互い場所にはこだわらないようだ。休もうと思ったときに休めるところが私たちにとっての休憩場所なのだ。そこから見える景色を眺めながらしばし休んだ。慣れていない私が登るのは大変なところに町があるのだが、私はすごく気に入っていた。カトマンドゥを見下ろせる位置にあること、きれいな空気と水があること。最近の疲れ気味の私にとっては癒しの場所だ。息を切らしていた私も復活して、最後の心臓破りの階段を登り切った。そこがSushil君の家だ。その場所に私はさらに感動を覚えた。本当にのんびりとした感じのとても人に優しいところだ。もちろん不便なこともあるだろうし、自然の威嚇も多いだろう。しかしそのマイナス以上のすばらしさがあるように思えた。Sushil君を紹介してもらい、3人で彼の部屋に行った。小さな部屋だったが、きれいに片付けられていた。チャイを頂きいろんな話をした。彼は観光ガイドとトレッキングのガイドと日本語の先生をやっているのそうだ。なので彼の日本語はほぼ完璧。自分では「まだまだ私なんてだめですよ」と言ってはいたが、十分なほど上手に日本語を使っていた。でも残念ながらバスの時間があったのであまりたくさんは話せなかった。また日を改めて来る約束をして帰ることにした。日はとっくに暮れていたのでSishil君に懐中電灯を借りてMackyとまるで肝試しのような道を歩いた。暗いのをいいことにMackyは怖い話をしだした。聞くのが嫌な気もしたが、「一ミリの幽霊って知ってる?」って聞かれたのでつい「知らない。何それ?」と聞き返してしまった。「友達の友達の会社である人が突然何も言わずに会社に来なくなった。そこで同僚が様子を見に行くことになった。家に行ってベルを鳴らしても何の返事もない。そこでドアノブを回してみた。するとカギがかかっていなく、中に入ることができた。会社に来なくなった同僚が部屋の真中でやせこけて座っているではないか。『なんで会社に来ないのか?』と聞くと『俺が出て行くとそいつがかわいそうなんだ』と言った。そこでじーっと見てみるとなんと箪笥の間の一ミリの隙間に女の幽霊がいたのだ。」背筋がぞっとした。改めて聞くと大したことはないかも知れないが、真っ暗な足場の悪い道を歩いているときに聞くのはちょっときつかった。そのうち川の流れる音が強くなり肝試しよりもキャンプ来た感じになった。気分も入れ替えてキャンプのうきうき感を味わうことにした。足元に気をつけながら15分くらい歩くとバス停に着いた。バスがちゃんとくるのかちょっと嫌な予感がしたが、バスが来るのかMackyがその辺にいる人たちに確認したら皆「来るよ」と言った。なので、近くのお菓子屋さんでおやつを食べながら待つことにした。しばらく待ったがバスは一向に来ない。少なからず心配していたのが、案の定その日のバスはもう来ないことが分かった。ティハールのお祭りの最中なので、終バスが早かったようだ。仕方がないので今日はSushil君の家に泊めてもらうことにした。Mackyは歩いて帰れるのだが、Sushil君の家のダルバートが食べたいと言って一緒にまた来た道を戻ることにした。すると道の途中でさっきは気づかなかったが、物凄い数の星を見ることができた。東京では絶対見えないような小さな星も見ることができた。しばらく二人でぼ〜っと星を見ていたら、Sushil君が心配して電話をかけてきた。「20分も経つけど、今どこにいるの?」と。私たちは謝って「今から行くから」といって切った。しかし二人とも動きたがらなかった。もうちょっと星を見ていたかったのだ。Sushil君には申し訳なかったが、しばし星を見てからしか行くことができなかった。彼の家についてさっきと同じように3人でご飯ができるまで話していた。9時過ぎ頃ご飯を頂いた。やっぱりダルバートは家庭のものが一番おいしい。Sushil君の家で採れた野菜やお米を使って作っているので新鮮なのだ。お腹一杯で動けなくなるほど食べてしまった。食事が終わるとMackyは一人でお寺に帰った。私とSushil君は夜の11時ごろまでずっと話をしていた。民宿の計画についていろいろ助言をしてくれて、参考になった。途中で彼の好きなアーティスト花花の「さよなら大好きな人」を一緒に聞いた。その歌詞が他界したおばあさんの為に書かれたというのを聞いて私は思わず涙してしまった。Sushil君をびっくりさせてしまったが、どうしても流れてきてしまったのだ。自分が祖父の他界したときに立ち会えなかったことや自分の家族のこと、そういったことが糸をピンと張ったような現状の私の精神の上に降りてきたのだ。Sushil君の家庭的な家のせいもあったかもしれない。ただただ涙が込み上げてきたのだ。自分でもびっくりしたくらい。Sushil君はその歌を聴いた瞬間に好きになったのだと言っていた。それは彼の父親が、Sushil君が日本に研修に行ってる間に他界してしまったからかもしれない。彼は私にそのときのことも語ってくれた。お互い思い出すこともあるようだったので、そろそろ寝ることにした。
2006年10月21日
my nepali life diary 2006 vol.13
10/21
今日は10時半頃にRobinと待ち合わせをして、ファルピンに行ってきた。車で約一時間のところにある僧院にまず寄った。雨がだいぶ降っていたが、参拝させてもらうことにした。しかし、残念なことに本堂のカギを持っている人が不在だった為に中に入ることができなかった。仕方がないのでそこにいたお坊さんとこの僧院についての話をした。ここは8ヶ月前に出来たばかりの新しい僧院だった。外観には汚れがなく、空気のきれいないい場所にある。ファルピンのある地帯はチベット仏教の一大聖地として、チベット人にはよく知られているところだそうだ。雨宿りをしながら話をしていたら、カギを持ったお坊さんが戻って来た。本堂の扉を私たちの為に開けてもらえ、中に入ることができた。中に入ると大きな金剛の仏像とチベット仏教の仏像が鎮座していた。壁には満遍なく壁画が描かれており、すばらしく見事な堂内だった。きちんとお祈りをして再度ゆっくりと一周してから外に出た。雨はまだ降り続いていた。車に乗り込み、ダキシンカリに向かった。ダキシンカリの「カリ」とは「女神」という意味で、ヒンドゥー教の神様だそうだ。観光客が来ることは少なく、多くはネパール人やインドから来るヒンドゥー教徒だそうだ。駐車場までは来たのだが相変わらず雨が降っていた為、私たちはお茶を飲みながら雨が静まるのを待った。その間私はRobinにいくつか聞きたいことがあったので、教えてもらうことにした。民宿計画の話やポカラに一緒に行く話などをしながら時間を潰していた。ポカラまでどのように行くのかまだ決めていないが、もし日程が合えば一緒に行けたらいいなと思っている。一時間もしないうちに小降りになってきたので、ダキシンカリの祀られているところまで歩くことにした。両脇が出店のようになっている道を下っていくと、途中でばったりとホテルのスタッフのKiramに会った。お互いに目が合い、びっくりした。私は挨拶をし、KiramとRobinはネパール語で少し話をした。「また後でホテルで会いましょう」と言って、逆方向に歩き出した。ダキシンカリの石像の近くに着いた。その場にはお経のような音楽のような音が流れており、雨の中来る参拝者を迎えていた。中にはヒンドゥー教徒しか入れないようで、しばらく外側から見てそのまま引き上げることにした。普段見慣れない光景を後にして次はチャタールリンポチェゴンパに行った。そこには天然の水がきれいな池があり、崖の下にある僧院だった。僧院の中ではお経が詠まれていた。自然と共存している人工の建物を見て、更なる自然の強さを感じた。間違いなく人間は自然の後に誕生した生物なのだ。
その後ファルピンの街を散策することにした。街自体はとても古いようで、とても赴きがあった。家の造りは殆どがレンガ造りであり、今にも崩れそうな古いものもあった。この辺りはネワール族の住んでいるところだと知った。もう少し時間があればゆっくり散策できたのだが、日帰りで来ていたので仕方なく車に戻り帰ることにした。また改めて来たいと思った。帰り道にあるアスラケーブ(小さな洞窟)に寄ってから街まで帰ることにした。ところがRobinが通り過ぎてしまい、途中で引き返した。しかし後で分かったことなのだが、そのとき見た洞窟は違っていたそうだ。残念だったが次に来たときの楽しみにすることにした。
ホテルまでRobinに送ってもらって、彼は家に帰った。今日はティハールというお祭りの5日間あるうちのメイン3日間の最初の日だった。Indraに電話をすると、勇治と一緒だったのでみんなで飲みに行くことになった。ビールを飲んで楽しい気分になったところで、イルミネーションがきれいな街に出て行った。すると偶然Mackyに会った。彼のネパールでのおじさんと言う人と一緒に遊びに来ていたのだ。後でまた会うことにして別々のところに行った。メインストリートには昼間から車両通行止めにして設置された舞台があった。そこでは野外クラブイベントが催されていた。たくさんの人が音楽に合わせて踊っていた。勇治の持っている一眼レフデジタルカメラで街の様子を撮って楽しんでいた。気づくとIndraたちは家に帰ってしまっていた。きっと家族で祝うことになっていたのだろう。ネパールでのお祭りの基準は「宗教」「家族」なのだ。家族のつながりはとても強い。日本では薄れてきているものなので見習わなければといつも思う。勇治と二人でお腹が減ったのでレストランに行くことにした。ビル一つが一つのレストランの5階の席を選んで外の風景を見ながら食事をした。すると単発で小さな花火が上がった。ネパールで花火が見れるとは思っていなかったので、嬉しかった。食事を終え、明日の早朝から勇治はラフティングの仕事に行くと言うことで早めに帰ることにした。勇治と別れたあと、Mackyから電話がありさっきのおじさんと三人でダンスバーで飲むことになった。そのダンスバーではネパール人の男女が舞台の上で踊っているのだ。それをお客さんたちはみんな見ながらお酒を飲んだり話しをしたりしていた。ダンス自体はいまいちだったが、おじさんはおもしろい人で楽しかった。彼らの付き合いは長いようで、本当の親戚のような感じだった。長い一日だったがとても楽しく過ごせてよかった。
2006年10月20日
my nepali life diary 2006 vol.12
10/20
今朝もやはり眠りが浅かったせいか、6時に起床した。そしてホテルを移る為に荷造りをした。ある程度済むと朝食を摂りにレストランに行った。昨日と同じメニューしか選べないのでじゃがいもの炒め物に入っているトマトの量を多くしてじゃがいもを減らしてもらうように頼んだ。昨日と同じように本を読んで料理が来るのを待った。まずミルクコーヒーが来て、その後に料理がプレートに盛られてやって来た。しっかりと食べてお腹いっぱいになったので、インターネットカフェまで歩くことにした。そこのスタッフと一緒にチャイを飲みながら一時間くらいメール送ったりした。11時ごろ荷物を持って次のホテルまでリキシャに乗って行った。受付のKishorが紹介してくれたBasuに挨拶をした。そして少し話をしていると日本人が階段を下りてきた。明日ポカラに行くと言っていたのでBasuがチケットの手配をしてくれた。他の旅行会社などでも取れるのだが、値段も同じなのでホテルで取った方が楽でいい。街中の旅行会社だとぼったくる可能性もあるのでできるだけ信用できるところで買いたいものだ。その後、彼は「今日一日街を歩く」と言った。私も日本に送る為の帽子を買いに行かなければならなかったので、一緒に行くことにした。彼の名前はコウヘイ君。同じ学年の人なので話しやすかった。まずは両替をしよう思い銀行に行った。するとそこに勇治がいた。私と勇治は去年ネパールに来たときに知り合った友達だ。ラフティングのガイドをやっていて、ネパールに来たのも仕事の為だ。もちろん半分以上は遊びなのだが。本当だったら彼は2日前に着いていたはずなのだが、飛行機が飛ばなかったようで今朝の到着になってしまったそうだ。両替所がすごく込んでいたので両替を諦め、飛行機の出国を待つあいだ一緒だったという勇治の友達とコウヘイ君と4人でお昼ご飯を食べに行った。モモをみんなで取り分けて食べ、各々テントゥックや焼きそばを食べた。勇治が来たお陰で今日は自分が旅行で来ているような気分になった。あまり仕事のことを考えない頭にスイッチが入ってしまったようだ。食後勇治の友達は一人で街を歩くことにして、3人で買い物をしながら散歩をすることにした。途中勇治が「友達のトレッキングガイドのオフィスに寄りたい」というので行った。するとBhupendraがいた。彼も私が去年知り合った友達の一人だ。びっくりして一気に話が盛り上った。せっかくだからお茶でもしながら話そうということになり、カフェに入った。Bhupendraに私の民宿計画を話すと、「トレッキングの会社と一緒にやるといいんじゃないか」と言っていた。確かに初期投資も少なくてすむようだし、ネパールと言ったらトレッキングなのでいい案だと思った。一つのアイディアとして頭に入れておくことにした。コウヘイ君が「そろそろ行こうかな」と言ったのでBhupendraと分かれて買い物に行った。私はいろんなお店に入っては帽子をチェックし、日本で売れそうなものを10個以上買った。日本の知り合いのおばさんから頼まれて「帽子屋で売るためにいくつか買ってきて」と言われていたのだ。質によるのだが、一番安いものだと200円くらいからある。1000円を超えるような帽子を見つけるのは難しいことだろう。今回ネパールに来て初めて買い物をしたので楽しかった。本来買い物が好きな性分の為、必要以上には買わないよう気をつけていた。買い物をしながらダルバール広場まで歩いたところでコウケイ君と分かれた。彼は広場をぐるっと観光をしてモンキーテンプル(スワヤンブナート)に行くと言っていた。私と勇治はタメルの方に戻ることにした。だいぶ歩き、疲れていたのでリキシャに乗って帰ることにした。私はホテルで降り、勇治は荷物を預かってもらっているラフティングの事務所に戻った。部屋に荷物を置いてすぐに両替をしに銀行に行った。銀行の両替を担当しているAnuとは前回両替をしたときに話して以来、お互い好感を持っていた。今日も「随分と忙しいですね」と声をかけて少し雑談をした。その後、勇治のいる事務所に行って、荷物を宿に運ぶのを手伝った。6時ごろにネパール人の友達が仕事から帰ってくるというのでそれまで自分のホテルで待つことにした。部屋に戻って少しすると物凄い雷と大雨。外にいなくてよかったとほっと胸を撫で下ろした。しばらくはホテルを出られないと思ったので、シャワーを浴びた。お湯の出るシャワーがとても心地よかった。シャワーから上がって少し小腹がすいたので日本から持ってきたお味噌をお湯で溶いて味噌汁にして飲んだ。ゆっくりホテルのロビーでBasuやこのホテルのオーナー息子のKiramなどスタッフとくつろいでいた。するとコウヘイ君から電話があり、雨宿りをしていたが小降りになってきたので今からホテルに戻って来ると連絡があった。コウヘイ君が戻って来て、雨が止んだので二人でダルバートを食べに行った。コウヘイ君が「ネパールが好きになったかも」って言っていたので、私は少し嬉しくなった。ネパール人ではないが、何か自分の友達を褒めてもらえたように感じた。その後勇治から電話があり、ビリヤードをしに行った。するとネパール人の友達Indraと彼女がいた。5人でお酒を飲みながらビリヤードを楽しんだ。ここの台はちょっと水平が保たれていなくて、ボールも小さめ。それでも十分楽しめるのだが。10時半頃コウヘイ君は明日早いので帰ることになり、私は友達とダンスを見に行く為に店を出た。友達が迎えに来てくれてバイクで寒い中お店に行ったのだが、うっかりサンダルで来てしまった為、中に入ることが出来なかった。二人で「残念だね」と話していると彼が「もう一ついいとこがある」と言って、そこに行った。だがそこもあんまりだった。そこに彼の友達が来て「隣のヤックアンドイエッティホテルでクラブイベントがある」と言って連れて行ってくれた。これにはびっくり。ホテルの大きな披露宴会場のようなところがクラブになっていた。結構たくさんのネパール人が来ていて、盛り上っていた。ネパールにまさかこんなところがあるなんて想像もしてなかったので、本当にびっくりした。30分くらいその場を楽しんで、帰ることにした。
2006年10月19日
my nepali life diary 2006 vol.11
10/19
最悪なゲストハウスだった。昨晩夜中の2時過ぎまでゲストハウスの隣にあるダンスバーで大音量の音楽が流れていた。全く持って寝付けなく、今朝は6時に目が覚めてしまった。4時間弱の浅い睡眠だった為、一日中頭がぼ〜っとしていた。昼頃まで眠ることができていたら違っただろうが。早朝から資料作りなどの仕事をして、7時半頃に朝食を取りにレストランに行った。本を読みながらトーストを二枚とスクランブルエッグとじゃがいもの炒め物とコーヒーを取った。まずまずの味だった。その後インターネットカフェに行ってチャイを飲みながらメールを何通か送った。日本の旅行会社からメールが来ていて、ビーマンバングラデシュのバンコク成田間のフライトが運休停止になったことが確定した。そこでビーマンバングラデシュのオフィスに行くことにした。一旦部屋にノートパソコンを置きに行くと、眠気が襲いちょっとだけ横になった。うとうとしたころに昨日知り合ったDeviのお兄さんのような友達Kishorから電話があった。今からボダナートの方にあるKopanという僧院にお祈りに一緒にいかないかという誘いだった。あまり気が進まなかったが一時間くらいで戻ってくると言ったので、ビーマンバングラデシュに行くついでに行くことにした。まずオフィスに行き問い合わせをすると、午後2時過ぎに新しいチケットを手配できると言われた。なので僧院に行って、その帰りに寄ることにした。Kopanはとても静かで景色のいいところにあった。たくさんのお坊さんがそこでチベット仏教の勉強をしているのだ。到着してチャイを飲んで一息ついてから中に入ることにした。中はとてもきれいなところだった。二人でゆっくりと歩いてから昼食を摂ることにした。不思議だったのがKishorはお祈りに来たと言うのにほんの数秒手を額に持っていっただけだった。私は何度もお坊さんやチベット仏教を学んでいる人と知っており、お祈りの場に居合わせたことがあった。彼らはお経を唱え少なくとも5分から10分はお祈りに時間をかけていた。果たして何故彼は私をここに連れてきたのだろうと疑問に思った。おそらくただ単にこの場所に私を連れて来たかったのだろう。そうとしか考えられない彼の行動にちょっと不満を感じてしまった。何故なら一時間で帰ると言っていたのに、結局4時間くらいかかったからだ。私はかなり眠く気が尖っていたので、落ち着いて時間を過ごすことができなかった。彼が必要以上に話をするのに対して返事をするのが億劫になっていたくらいだ。なるべく彼にそのことを悟られないよう気をつけながら、僧院を出てタメルに帰ることにした。彼はひどいゲストハウスだと言う話を知っていたので、友達のホテルを紹介すると言って連れて行ってくれた。場所は静かそうなところで24時間お湯が出るという少しだけ高級な感じのするところだった。価格もちょっとだけ高めだったので、少し考えさせてもらうことにした。その後ビーマンバングラデシュのオフィスに行き、手続きをした。タイ航空が代替の飛行機を出すとのことで2,3日後にもう一度確認しにくるよう言われた。何をするにも手間と時間のかかる国だ。それが分かっていないとこの国に長く滞在するのは難しいだろう。日本の感覚は全くと言っていいほど通用しない。オフィスを離れ部屋に戻った。かなり疲れていたので一時間ほど眠ることにした。あまりぐっすりとは眠れなかったが多少は気分がよくなった。起きてから先ほどのホテルにもう一度交渉しにKishorと行った。Kishorのお陰で、私が長く滞在するということでディスカウントをしてくれた。何をするにもコネクションが必要だということが良く分かる。全くコネクションがなく長期滞在するのもやりにくいのがこの国だ。その後ヒラチャンさんの部下であるRobinさんと今のゲストハウスのレストランで会った。少し話をした後、彼は目医者に行かなくてはならないということで、一時間後に再会する約束をした。私はスーパーに行こうと思い外に出た。途中で友達に会い、ビールを一杯飲もうと言うことになった。すると彼の友達のアメリカ人の女性がたまたま通りかかり、3人で飲むことにした。彼の親友と一緒の大学に通っているのがそのアメリカ人だそうだ。彼女は初めてネパールに来て、帰国を一週間延ばしたと言っていたのでかなり気に入っているようだった。あっという間に一時間が過ぎ私はさっきのレストランに戻った。Robinさんと日本のことや私の民宿計画の話をして8時半ごろにはお開きにした。私はかなり眠たかったので、そのままベットに倒れこんだ。内容の割には随分と疲れた一日だった。
2006年10月18日
my nepali life diary 2006 vol.10
10/18
今日はたくさんの人と会えた一日だった。その分ちょっとだけ忙しかったが。まず朝起きてすぐにインターネットカフェに行った。10時半に日本食レストラン兼タンカギャラリー「ロータス」に行かなければならないので、その前にメールのチェックをしておこうと思った。ところが普段よりちょっとだけ時間がかかってしまった。そのままロータスに行こうと思ったのだが、いつもと違ってものすごくお腹が減っていたので急いで朝食を取った。その後走ってロータスに行った。息を切らして到着すると、既にロータスのオーナー佐々木さんの息子のコムドが待っていた。挨拶をして早速バイクで経済産業省に連れて行ってもらった。途中彼の用事でコピー屋に寄った。佐々木さんはネパール語日本語辞書をコピーして製本し、手ごろな価格で提供しているのだ。日本で買うと2,3万円するものを2000円くらいで売ってくれるのでとても良心的だ。経済産業省について職員に「どのようにして投資家免許をとるのか」「どのようにして民宿を外国人が作ることができるのか」「ビジネスビザの取り方」を聞いた。コムドは日本語が分かるので、要所要所通訳をしてくれてとても助かった。実際佐々木さんがお店を出すときに一緒に立ち上げをやっているのでかなり詳しく知っていた。ネパールは賄賂で成り立っていること、騙しの手口なども教えてくれた。もし誰の助けも借りず私一人で今回の計画を実行しようとしていたら間違いなく騙されていただろう。たくさんの人の助言のお陰で今のところ悪いことに出くわずにすんでいる。約一時間程ヒヤリングをした後、彼の用事でバイク屋に寄り、彼が電話代を払ってからお店に帰った。コムドは家でタンカを描いている作家なのでそのまま家に戻った。私は佐々木さんと話しをするためにお店に戻った。佐々木さんに経済産業省での話をしていると、偶然お昼ご飯を食べている知り合いを見つけた。先日伺ったパタンの近くで布の製作工場を持った日本の会社の社員の人たちだ。彼女たちも私が電話している声を聞いて気づいていたようだ。お互いびっくりしていた。「頑張っている?」と聞かれ「ぼちぼちやっています」と答えた。ほんの数分世間話をして彼女たちはお会計をした。そのとき鯛焼きがあるのを見つけ、お土産に買っていった。「一つはあなたに」と言って、私にもくれた。その優しさに笑みがこぼれた。彼女たちと話をしている間、佐々木さんはあんドーナツの試作をやっていた。なかなか難しいようで、試しに一つ頂いたがまだまだ日本のあんドーナツには程遠い感じだった。ロータスを後にして昼食を取るため馴染みのレストランに行った。するとそこにpalがいた。二度目の驚きだった。彼はネパールでの生活にちょっと疲れているようで、一人で静かに昼食を取っているとこだった。確かに日本の暮らしに慣れていると、ネパールの生活は疲れるものがある。道を歩けば誰かが声をかけてくるし、車のクラクションの音や、土ぼこりの多さ。もちろんネパールには静かで落ち着けるところはたくさんある。しかし騒音は街に集中しているのでここにいる限り癒されるのは難しいだろう。一緒にゆっくり昼食を取った後、私はDeepakさんの家からゲストハウスに移る為、荷造りをした。その間、Palは近くのカフェで待っていてくれた。荷物が多いので荷造りにちょっと時間がかかった。とりあえず詰め込んでリキシャに乗りゲストハウスまで行った。Palも一緒に部屋まで来て、少し休憩した。彼はシャワーを浴び、私は荷物を部屋に広げていた。心がすっきりした。Deepakさんの家だと少なからず気を使っていたので、やっと自由を感じることができた。彼の家は24時間お湯が出るのでとても快適に過ごせたのだが、やはり気持ちのゆとりは必要だ。精神的に圧迫感があると健康にも良くない。新しく移ったゲストハウスは夜にお湯が出ないものの、広くてきれいなところだ。シャワーは朝浴びればいいし、特に問題はない。荷物も出し落ち着いたので、お茶をしに外に出た。カフェでケーキとコーヒーを頼んだ。座った席の横にとてもきれいなおそらくヨーロッパの女性が一人で座っていた。Palが声をかけようと言うので、話し掛けた。彼女はオーストリアのスチュワーデスだった。とても気さくに話をしてくれた。しかし明日のフライトでオーストリアに帰ってしまうそうだ。もう少し早く会っていたら一緒に遊べたのに残念だ。今回彼女は1週間ネパールに滞在しており、一度トレッキングに行ってきたと言っていた。私はトレッキングをしたことがないので、近いうちにしてみたいと言った。今度彼女は11月に来るので、そのとき一緒に行けたらいいねと話した。お互い連絡先を交換し、彼女は店を出た。その後palがタンカを買いたいと言ったのでロータスを紹介することにした。バイクで一緒に行く途中、偶然佐々木さんが近所の店でお茶をしているのに出くわした。これからロータスに行くのだと伝えるとコムドがいると教えてくれた。そして佐々木さんはpalに日本人には本当にいいタンカじゃないと気に入ってくれないよと助言した。ロータスでpalはタンカを見て、私はコムドと少し話しをした。彼は一度家に帰ったのだが、友達が来てタンカを描くことが出来なかったと言った。でも少しも残念そうな顔をしていなかった。彼はとても感じのいい人なので、仲良くなれそうだ。ロータスを出て今度は近くのpalの友達の日本人のところに寄ることにした。カヤブティックのあやこさん。二人が会うのは久しぶりだったようで、嬉しそうだった。しかしpalはお父さんからの頼まれた買い物があるので先に帰ることになった。その後私はあやこさんと私の民宿計画について話をした。彼女はネパールに住んで11年。いろんなことを知っていた。参考にするといいゲストハウスを紹介してくれた。しかしたくさんの問題があるので2,3年は情勢を見ながら実行に移すのを待った方がいいのではないかと助言してくれた。確かにネパールの情勢は変わりやすい。観光客の数も安定していない。そしてネパールには山しかなく、いわゆるリゾート的な場所はない。シーズンは限られているので民宿だけで採算を取るのはかなり難しいことだと言った。とても重要な意見をもらえたと思う。約一時間くらい話をして、また会う約束をしてその場を後にした。次に私の向かったのはサマコシにある友達の家だ。20分くらい歩いてDeviに会った。一緒に彼女の友達もいて一緒に家に行った。彼女はアパートに住んでいて、そこで3人でおしゃべりをした。部屋は8畳くらいで、家賃はなんと一ヶ月約6500円。この辺で物価の違いが分かるだろう。約十分の一。その分収入も少ないのだか。彼女は私にびっくりするプレゼントをくれた。お姉さんが織ってくれた「SATOKA」と私の名前の入った布だ。私はとても驚いたが、同時に嬉しくて感動した。わざわざ私のために作ってくれて本当に有り難いことだと思った。いつか私も何かプレゼントしたいと思った。今晩は一緒に食事に行こうということになり、Deviの弟も呼びレストランに行った。こないだPalと一緒にお茶をしたカトマンドゥモールのレストランだ。4人でビールを少しのみ、マッシュルームスープ、バフ(水牛の肉)モモ、チキンシズラー、フライドライス、フライドポテトを頼んで、楽しく食事をした。ここの料理はかなりしっかりと作られたものだ。味もおいしくて流行っているお店のようだ。9時半頃店を出た。その後私はヒラチャンと連絡があり、会うことになった。実は今日彼は日本に帰る予定だったのだが、飛行機が飛ばずまたも帰国延期。そのおかげでゆっくりと話ができた。ビジネスのことも話したが、それよりも友情の話の方が多かった。年は親子くらい離れているがいい人間関係が作れていると思う。私は彼のことを尊敬してる。そしてフィーリングがとても合うので、話がしやすい。彼も私に対して何かの縁を感じると言ってくれる。このような関係をネパール人と持てたのはすごく運が良かったと思う。ネパール人の中には人を騙す人もたくさんいる。そのような人と先にたくさん出会っていたらきっと人間不信になっていただろう。いい出会いをこれからも増やしていきたいと思う。
2006年10月17日
my nepali life diary 2006 vol.09
10/17
今日は朝から労働者ストライキがあった。どこの店も閉まっている。これではどこに行くことも出来なさそうなので、朝ご飯にりんごを食べながらゆっくりした。Deepakさんの子供が「一緒にトランプしよう!」と誘ってきたので遊ぶことにした。初めて会ったころは人見知りして全然笑わなかったのだが、最近は満面の笑みで笑いかけてくれるようになった。子供好きの私には最高のプレゼントだ。日が高くなるに連れて、お店がぽつぽつ開きだした。そこでインターネットカフェに行ってみることにした。案の定友達のやっているインターネットカフェは開いていた。小一時間程メールを送ったりした後、近くのカフェに行った。ここのカフェモカは最高。スターバックスよりおいしいと感じたくらいだ。早速カフェモカを頼み、ネパールのガイドブックで諸事情や歴史について勉強することにした。一時間くらいしてお昼を一緒に食べようと約束していたヒラチャンさんから連絡があり、スケジュールが変更になった為、3時に待ち合わせをすることになった。仕方がないのでネパール語を少し勉強してから一度部屋に戻った。ノートパソコンと本を部屋に置いて、Deepakさんの家の向かいにあるmomostarというレストランに行った。初めて野菜スープモモを頼んでみた。相変わらず地元レストランは出てくるのが遅い。もう慣れているので嫌な気分にもならず、本を読みながら待った。やっときて一口食べると、おいしい。後一味欲しい感じもしたが合格点だ。モモは少しピリ辛でスープはまったりとした感じ。野菜しか入ってないのでさっぱりと食べきることができた。食後に紅茶を飲んで、店を出た。待ち合わせ場所は歩いて約10分くらいだったので、ゆっくりと歩くことにした。ヒラチャンさんと会って、一緒にチベットアンティークのお店に入った。昨晩電話で今後のビジネスとしてチベットアンティークを日本に輸入することができないだろうかと話したところだったので、早速中を見させてもらった。ヨーロッパでは一室全てチベットアンティークでインテリアをコーディネートする人たちがいるそうだが、日本にはまだない。日本にどれほど浸透するかは定かでないが、一つのアイディアとして考える価値はあると思った。実際に見てみると、約300年も前の収納ボックスやチェスト、ローテーブルからタンカまで様々な種類のアンティークが所狭しと置いてあった。ある種の気のようなものを感じながらさっと一通り見せてもらった。今日は短い時間しか見ることが出来なかったので、次回はしっかりと時間を取って見に来たいと思った。
その後一軒ヒラチャンさんの用事に付き合った。その後ヒラチャンさんは仕事に戻り、私は別の友達Robinとスワヤンブナートに行くことにした。ちょうど夕日の沈む時間だったので観光客もたくさん訪れていた。スワヤンブナートのストゥーパからはカトマンドゥ盆地が見渡せて、とてもいい展望台でもある。残念ながら山に雲がかかっていたため夕日はきれいに見えなかったが、そこの雰囲気を楽しむことができた。その後街を車で移動し、中華料理を食べに行った。ネパールで本格的な中華料理を食べるのは初めてだったので、すごく楽しみだった。海鮮と豆腐のあんかけと魚のあんかけ、八宝菜ときのこの炒め物を頼んだ。味付けが一番おいしかったのは海鮮と豆腐のあんかけだ。魚のあんかけはいまいちの味付けで、八宝菜炒めは薄味だった。Robinと食事をしながら今後どこに行ってみたいかという話をした。私がファルピンに行ってみたいと言うと、「今度の土曜日が休みだから一緒に連れて行ってあげよう」と言ってくれた。彼は私の民宿計画についてはどちらかというと反対派なのだが、友達としてとても親切にしてくれる。彼も仕事で忙しいので合間に余裕があるときだけ時間をつくってくれている。ご好意に甘えて次の土曜日には一緒に行くことにした。
2006年10月16日
my nepali life diary 2006 vol.08
10/16
旅行会社から「ビーマンバングラデシュ航空会社が日本のへの運行を休止した」との情報を再度受け、カトマンドゥオフィスに行った。ところが確認してみると「あなたのフライトはあります。変更はありません。」とのこと。え?!という感じでぽかんとしてしまった。頭の中には「?」の文字が何十個も出来た。オフィスを離れ歩きながらどうしようか考えた。結果、日本の旅行会社に再度問い合わせをしてもらうことにした。そしてその結果、もし運行休止の場合はその後の処置まで依頼することにした。以前航空会社に勤めていた知り合いのおじさんが旅行会社には販売したチケットに問題があった場合最後まで責任を取る義務があると言っていたので、強気に出ることができた。後は返事を待つだけだ。
お昼はタメルで日本食レストラン兼タンカのギャラリーをやっているLotusの佐々木さんを訪ねることにした。扉の正面のカウンターに座っていた佐々木さんは髭を長く伸ばした仙人のようなおじさんだった。サングリアツアーの大河原さんから紹介してもらって来たと伝えた。私が民宿をやるためにいろいろとお話を聞かせて欲しいと頼んだら、快く引き受けてくれた。ビジネスビザの取り方から様々な失敗談。改めて大変さを実感した。そんな話を聞いているとなんとびっくり、資寛さんがお店にやって来た。佐々木さんに用事があってやって来たようだ。生しいたけを分けてもらいに来たそうだが、残念ながら佐々木さんはすでに生しいたけを乾燥させてしまったようだ。現地の日本人同士のつながりを垣間見れたようでよかった。そして資寛さんと一緒にお昼を食べた。私は豆腐と野菜の炒め物とご飯を注文した。ここの味はなかなか良かった。豆腐はもうちょっとって感じだが、野菜炒めの味はよかった。ご飯は半分のサイズにしてもらったのだが、ちょっと食べきれなかった。佐々木さんと明後日また来ると約束をしてお店を出た。
夕方前にPalから電話があり、お茶をすることにした。一緒に友達も来ていて紹介してもらった。Palの友達の多くは日本に住んでいたことがある人だ。Naranもその一人。民宿の話をするとすぐにネパールで14社のディレクターをやっている友達に電話をかけ、会社を作る為にはどうしたらよいかを聞いてくれた。電話では大した話もできないようで、当たり前の返事しか返ってこなかったが、行動の早さにびっくりした。また改めてその友達を紹介してくれると約束してくれたので、そのときにいろいろ訪ねてみようと思う。夕飯はネワール料理を食べようと誘ってくれたので、一緒にパタンの方まで行くことにした。始めNaranのいつも通っているジムに連れて行ってもらった。ネパールのジムとはどんなものかと思って、興味があった。入るととても静かなリゾートのような感じだった。プールがあり、サウナがあった。テニスコートやバトミントンコートもあった。奥の方の建物にはダンベルやトレーニング機械がいくつかあった。Naranは毎朝3時間ほど運動をしてからコーヒーを飲んで朝を過ごしているそうだ。私にはジムに行く習慣はないので実感しなかったが、近くにこのようなリラックスできるジムがあるのはいいことだと思った。もしこの辺りに住むことになったら通うかもしれない。
夕食はパタンのダルバール広場の近くのレストランだ。いくつかのチリのたっぷり入ったつまみと、モモを食べた。今回ネパールに来て初めてロキシーを飲んだ。ロキシーはネパールの各家庭で作っている焼酎のようなアルコールだ。やっぱりちょっとアルコールが強くて全部は飲めなかった。食事もチリが辛く、たくさんは食べられなかったので野菜サラダを頼んで食べた。隣に来たお客さんはJAIKAで2年働いていたおじさんとネパール人女性2人と女の子。この女の子はとてもかわいくて私たちが帰る間際に店の音楽に合わせて踊ってくれた。子供にしてはしっかりとしたダンスで、女らしさも出ていた。日本では見たことのない女の子とその表現に感動した。バックヤードにはいろいろなものがあるにせよ、アウトプットで人を感動させられることはすばらしいことだ。
2006年10月15日
my nepali life diary 2006 vol.07
10/13〜15
あー、やっぱり寝込んでしまった。ネパールに来るとかならず一度は体調を崩し寝込んでしまう。病院には行かず、薬を飲んで後はひたすら寝て治す。今回の風邪は主に胃だった。発熱と吐き気の為に殆ど二日間何も食べられなかった。さすがにちょっと痩せてしまった。普段なら喜べるところだが、原因が風邪だと喜ぶどころか余計に不安になってしまった。それにしても原因はいったい何だったのだろう・・・?
13日の朝は比較的早く起きたので朝食を食べようと近くのカフェに行った。するとちょうどカフェに着いたときにpalから電話があった。
「今何してるの?」
「朝ご飯食べるとこだよ」
「じゃあ今から行くから一緒に食べよう。」
「オッケー、じゃあ、待ってるね」
と言って切った。10分程してpalが友達と一緒にやってきた。友達はsanghaと言って、彼も日本に住んでいたことがあると言う。Palもsanghaも空手をしていた仲間だそうだ。Sanghaはネパールで空手の先生をやりながら映画の悪役俳優をやっていると言っていた。その日も午後から撮影があるそうだ。私たち3人はコーヒーとクロワッサンで朝食を取った。ここのクロワッサンは焼き立てで外がカリっとしていて、中はもっちり。とってもおいしいクロワッサンだった。私は午前中にやってしまいたい仕事があったので、2人と分かれて部屋に戻った。現地調査リストの英語版。これをメールでRobinに送らなければなかったので急いで作った。ちょうど終わってインターネットカフェに行こうとしたとき、mackyから電話がかかってきた。「今近くにいるからよかったらお昼を食べない?」大きな用事は午後になかったので一緒にお昼を食べに行くことにした。しかし私はすぐに部屋を出られなかった。Deepakさんが外に出かけていて、カギが閉まったままだったのだ。彼に電話をすると「今から帰るところだ」と言った。15分程すると戻って来て、私はmackyと食事に行った。近くにブータン料理を食べられるところがあるとのことで、連れて行ってもらった。二人でシェアしながらブータン料理とfried riceとテントゥックを食べた。特に特徴のある味ではなかったが、食べやすくおいしかった。ネパールについての話をいろいろ聞いた後、明後日はSankhuに行きましょうと約束をした。その後Mackyとは分かれ、私はビーマンバングラデシュ航空のオフィスに向かった。最初は地図通り行ったのだが、地図が間違っていたようで結局30分以上歩いてやっとたどり着いた。ところがたどり着いてみると今日の午後はお休み。そうだった、ネパールは金曜日が日本の土曜日、土曜日が日本の日曜日という感覚なのだ。つまり一週間の休みの日が土曜日。日曜日からは平日。私はビーマンバングラデシュ航空が突然日本への運行を取りやめにしたと旅行会社から連絡を受けたので、チケットのキャンセルまたは代行がどうなっているかを確かめに行った。しかし、開いていないのでまた後日来ることにした。帰り道に体調の悪さを感じたが、メールを送らねばならなかったのでインターネットカフェに寄ってから帰った。さっさとメールを終わらせ、部屋に帰るとベットに倒れこみしばらく眠った。一時間くらいして目が覚めると気分が悪く、吐いてしまった。その後日本から持ってきた薬を飲み、夜まで眠った。夜9時ごろDeepakさんがお茶とクッキーと湯たんぽとベポラップを持って様子を見に来てくれた。お茶を飲みながらクッキーを少し食べた。それからふとベポラップに目が行った。「いったい何をするんだろう?」と思った。すると「これはとてもいいです」と言って、私の顔の周りに塗り出した。私は「結構ですよ」と言ったが全く聞く耳はなかった。顔に塗ってマッサージまでしてくれた。そして顔が終わるとお腹、胸、背中、足。足に塗るためにわざわざ短パンにはき返させられた。もういいと何度も言ったところで彼は一向に止めようとしない。一通り終わったところで湯たんぽをお腹の上に乗っけた。そのまま寝かせてくれるのかと思ったら今度は話をしだした。彼が昔旅行で行ったレバノンで見たキリスト教の女性と犬の話。レバノンでは殆どの男性がみんな戦争に行っているためにキリスト教の女性は皆犬を飼っているそうだ。その犬はしつけられていて女性が服を脱ぐと彼女の体を舐めに行くそうだ。そんな話をいったい何故この病床の私が聞かねばならぬのか?全くもって理解不能だった。頭もぼうっとしていたし、早く寝かせて欲しいと思った。この人は本当に私のことを心配してここにやってきているのだろうか、ちょっと不信感を抱いてしまった。もちろん文化や生活習慣の違いはあるだろうが、断ったことを無理にするのはどうかと思う。何とか夜11時ごろ彼は部屋を出て行った。ベポラップをお腹に塗りたくったせいでか、湯たんぽをお腹に乗せられていたせいか、気分が悪くなり結局さっき食べたクッキーも吐いてしまった。後味の悪いまま、眠りについた。
14日は11時にpalと日本フェアーに行く約束をしていたが、体調が良くならないので断りの電話をした。ところが「あなたの為に来てくれてる人がいるからちょっとでも頑張って来てくれ」と言われた。そう言われてしまうと行かない訳にはいかないので、重い身を引きずって近くまで行って電話をかけた。すると日本フェアーは入場料が500Rp(約900円)もするので近くのカフェにいると言った。そこでpalの連れてきた人たちに会った。Sanghaは撮影の間を2時間抜けて来てくれたようだ。他には日本に18年程住んでいたが最近ネパールに帰ってきた女性とその子供、palの親戚の子3人。合計7人がそこにはいた。わざわざ来てくれた人たちに会えてよかった。遅れて来た私に彼らは全然嫌な顔もせず笑ってその場にいてくれた。たわいもない話を30分くらいして彼らは2時からパーティをするということで別れた。その後せっかく外に出てきたから日本フェアーに顔を出そうと思って中に入った。資寛さんがやっている「コテツ」と言うお店のところに行って、少し休ませてもらった。彼は大忙しで働いていたので日本フェアーが催されている文部省の園内を一周した。小さなブースがいくつかあり、ネパール人の店員らしき人たちと日本人が楽しそうに話をしたり、注文を取ったりしていた。さっと見て周って、コテツに戻ってきた。資寛さんがお味噌汁を一杯飲ませてくれて、「もうそろそ帰って休みな」と言ってくれたので帰ることにした。昨日飲んだ薬があまり効いていなかったこともあり、ネパールの薬は日本の薬よりもだいぶ強いので買っていくことにした。帰るとやっぱり胃が回復していないようでさっきのお味噌汁も吐いてしまった。薬を飲むとすぐに睡魔が襲ってきて、何時間か眠った。目が覚めると何となく気分が良くなったように思ったので、夜ご飯を食べに近所の日本食レストランにいった。薄味のラーメンがいいんじゃないかとさっき資寛さんに教えてもらっていたのでそれを頼んだ。はじめは良かったのだが、やはりまだ胃は受け付けられなかったらしく、部屋で戻してしまった。その日は薬を飲んで早々とベットに入った。今日は誰にも邪魔されずたくさん寝るぞと思いながら。案の定Deepakさんは湯たんぽとベポラップを持ってきた。しかし私は薬のせいもあってすぐにでも眠りにつきそうだった。彼がマッサージをしようとしたので今日ははっきりと「結構です。私は今すぐに眠りたいので、お部屋に戻ってください。」と言った。ちょっと寂しそうに数分黙って座っていたが、「何かあったらいつでも呼んでください」と言って出て行ってくれた。これで今日はゆっくりと眠れる。
今日(15日)は朝からすっきりと目が覚め、シャワーを浴びた。昨日mackyには「体調が悪いので明日はサンクーにいけないかもしれない」と電話を入れておいた。しかし起きてみると元気になっていた。若干だるさは残っていたが、空気のきれいなところに体が行きたがっていた。そこで彼に電話をした。そして10時半にボダナートで待ち合わせをすることにした。タクシーでボダナートまで行った。すると彼は先に待っていたようで手を振って挨拶をした。二人でボダナートのランドマークであるストゥーパ(卒塔婆)の周りを一周ゆっくりと歩いた。チベット人や観光客も同じように右回りに歩いていた。ストゥーパは必ず右回りに歩くものだそうだ。それからサンクーには特にレストランがあるわけではないので、スーパーマーケットで買い物をしていくことにした。パンを買おうと思っていたのだがまだ出来ておらず、りんごとクッキーと抹茶味の飴と水を買った。抹茶味の飴は興味本位で買ったのだがあまりおいしいものではなかった。バスに乗り込みサンクーへ向かった。バスと言っても日本のバスとは比べ物にならないほど小さいものだ。座席が12席程のバンだ。道は少しでこぼこしていて間違っても乗り心地がいいとは言えない。しかし外に見える景色は最高だ。「田舎」と言う言葉がぴったりな田んぼや畑の広がる風景がサンクーまで続いた。一時間もしないうちにサンクーについた。そこはネワール建築が外観に見えるとてもひっそりとした小さな街だった。アンティークともいえる木彫刻の施された外観には感動を覚えた。そこに住んでいる人たちは当たり前のように使っているのだが、やはり日本人である私からすれば「かっこいい」ものだった。街をほんの10分歩くと門があり、そこらかバジュラヨギニ寺院への参道になっていた。サンクーの街は門前町だったのだ。両脇見渡す限りの田畑、その奥に見えるのは山々。そんな道を進んで、寺院に続く石畳の山道に入っていく。休まず登れば45分くらいで寺院まで着くはずだ。だが山登りになれていない私はちょこちょこ途中休みながら登った。最初は石畳の階段の横にあった大きな石に腰を下ろした。水を飲んでにじみ出てくる汗を涼しい風で乾かした。まだまだ先はあるので足を動かした。すると一匹の犬がとことこ私たちに付いて来た。私は日本で飼っている犬を思い出し嬉しくなり「一緒に登ろう」と言って登り続けた。二度目の休憩のときにクッキーを食べることにした。Mackyが付いて来てくれた犬に「チョビ」と名前を付け、クッキーを分けてやった。私も一緒になってあげた。最初はくんくんと匂いをかいで確かめていたがやがておいしそうに食べてくれた。Mackyは「チョビは暇だからついてきてるんだよ」と言っていたが私は何となく「頑張れよ〜」と言ってくれてるように思った。「後一息だ」ということで寺院まで一気に登ることにした。最後の階段はとても急だった。息を切らして登りきったときは達成感があった。しかし残念なことにバジュラヨギニ像のお堂は扉が閉まっていた。そこでmackyは近くにいる人に聞いてみた。すると「もうすぐ開くよ」ということだったので、奥にある茶屋に行くことにした。二階建ての建物の中にもタントラ密教の女神、ウダラ・タラが祭られているそうで、Mackyはお茶屋のおじさんにあそこには入れないのかと尋ねた。おじさんは「お茶を飲んだら開けましょう」と言ってくれた。中に入るとしんと冷たい空気があり背筋をピンと伸ばしたくなった。入ってすぐにある暖炉の火はもう何千年と燃えつづけていると言われているそうだ。一階にある女神像をお参りし、そして二階に登った。そこにはきれいに保存されている像がいた。Mackyはお供え物のバターランプに火をつけお経を読んだ。さすが何年も仏教の勉強をしているだけあり、本当のお坊さんのようだった。私はとなりで静かに合掌していた。お経が終わり、女神像の傍に行きさらに合掌した。一通りお参りを終えて、茶屋まで戻った。おじさんにお会計をすませて本堂の方に戻った。今度は扉が開いており拝むことが出来た。同じくバターランプに火を灯し、Mackyがお経を唱え合掌した。彼曰くここの女神様は強いので世俗的な願いも聞いてくれると言っていた。私はこれからのネパールでの活動が上手くいきますようにと女神像に向かって願いを祈った。拝観を終えて私はとてもすっきりとした気持ちになった。風邪が治ったせいもあるだろうし、ここの空気がきれいなせいもあるだろう。そしてここに祭られている女神のパワーを感じることができるのであれば、そのパワーが私を楽にさせてくれたのであろう。ネパールに到着して一週間、緊張していたものが少しだけ柔らかく解けた気がした。
帰りは行きに比べて随分早く下りることができた。参道の途中にある腰掛で少し休んでからバスに乗った。二人ともお腹がすいたのでボダナートに戻ってダルバートを食べることにした。帰りは行きよりもいい座席につけたので楽だった。ボダナートで食事を取り、その後屋上テラスのあるカフェでゆっくりと話をしながら夕日を見ていた。今日は一日とても清々しく心をきれいにできた。サンクーに連れて行ってくれたMackyにありがとう
2006年10月12日
my nepali life diary 2006 vol.06
10/12
午前中は調査結果のまとめや日記を書くのに費やした。12時近くになるとお腹が減ってきたので、パソコンを持って出かけることにした。たまには違ったお店を探そうと思い、少し散歩をした。小道を曲がったところに入り口が6.70センチしかなく、いきなり階段になっているレストランを発見した。さらにその階段は随分と急だった。一つ階を上ると店員がいて「どうぞ」と言った。さらに急な階段を二階ほど上って、座敷になっているテーブルの席に着いた。カーテンを開けると日が差し込んできて悪くないところだった。しかし客は私一人。誰も来る気配もいた気配もしない。これでどうやっているのか疑問だ。夜はたくさん客が入るのだろうか?そんな風には思わないが・・・。私はfried rice、いわばチャーハンを頼んだ。ネパールのお米はさらさらしていて、日本の米を細くして水分を減らした感じだ。それとミルクコーヒーを食後にと頼んだのだが、伝わっていなかったようで食前に来た。コーヒーが出てくるまでに約10分。これではfried riceができるのにはかなり時間がかかるなと思った。案の定階段を上がってきた店員は野菜が入っているであろうビニール袋を手にしていた。「遅れてすいません」と言いながらさらに一つ上の階のキッチンに行った。店に入ってから約30分たった頃にfried riceはやってきた。こんもりと盛り上がったfried riceの脇にきれいに野菜が盛られていた。これはおいしそう、思わず口にしてしまった。実際食べてみても味は良かった。時間をかけて作ってくれただけあって、どんどんと食が進んだ。もうこれ以上食べられないくらい食べて、店を出た。ちょっとしたいいものを発見できて気分がよくなった。
午後は以前和紙漉きでお世話になったmanoharさんのオフィスに行くことにした。いつもは来客の多い彼であるが、今日は一人で事務所にいた。二人でビジネスについて語り始めた。彼はとってもよく話をする人なので、大方90%は彼が話していた。私はじっと彼の言っていることを理解しようと聞いていた。もちろんビジネス以外の話もした。現在、彼は新しいヴァイアグラを作っているそうだ。100%天然素材で作るもので、まだ開発途中だと言った。私はあまり興味のないことだったが、新しいものを作って世に出すということには変わりはないので、どのように進めているのかを聞いていた。それから10日後くらいから始まるティハールと言うお祭りが終わったら一緒にチトワンナショナルパークに行くかどうかの話をした。どちらにしろチトワンには行く予定なので、彼の親戚の経営しているホテルにいってみるのもいいかなと思った。どのようにして作り上げたのか話を聞いてみたいと思った。そして今泊まっているところの友達、Deepakさんの話もした。やはりManoharさんも一週間くらいの旅行だったらいいかもしれないが、長期になると夜人に会うことも多々あるのでホテルに移った方がいいと言った。Deepakさんに話をして自分の意志を伝えようという気持ちになった。そんな風にたわいもない話も含め約4時間ほど話していた。6時半を回った頃に友達から電話があり夕食に行くことにした。明日またmanoharさんのところに行く約束をして、事務所を後にした。
電話があった友達はrobinさん。以前ネパールから帰るとき飛行機が遅れ、約6時間ほど一緒に時間を潰してた間柄だ。その後も何度も電話やメールでやりとりをして、二度目に会うにしては久しぶりとう感じは受けなかった。ラジンバットホテルに行き、夕食を取った。彼とも今後の私の計画について話をした。全面的に協力してくれると言ってくれたが、やはり私の計画は難しいよと言われた。君は日本に住んでいるのに何故ネパールなんだ?と聞かれた。それに対して私は、「ネパールが好きだからです。それにきれいな景色があって、その大きさに感動するからです。日本にももちろん景色のきれいなところはあります。でも日本よりネパールの方が時間がゆっくり進みます。そんなところに「また来たいな」と思える場所を作ってみたいのです。夢みたいなものです。」と答えた。それには彼も納得してくれた。彼は私がポカラに行く予定があると言うと、一緒に彼の運転手とスタッフと彼と私で行かないかと誘ってくれた。私は嬉しくなり即答した。いい人にたくさん出会えているのが私がネパールを選んだもう一つの理由かもしれない。
帰りが9時を少しだけ過ぎてしまうので、前もって電話をしておいた。しかし帰ってみるとちょっと不満そうなDeepakさん。そこで私は思い切って話をすることにした。「私はあなたのことをとてもいい友達だと思っています。だからこそあなたに迷惑をかけたくはありません。一週間くらいの旅行であれば門限をまもることに問題はありません。しかし一ヶ月くらいの長期になると話は別です。いろんな人に会う中で、遅くなってしまうこともあります。今回私は仕事でネパールに来ているので、なるべくたくさんの人と交流を持ちたいと思っています。なので、私は他のホテルに移った方がいいと考えます。」すると彼は「9時までに戻ってくるなら問題ないんですよ。」と言った。しかし私はそこが問題だということを説明して、何とか理解してもらった。これからもいつでも来て話をしましょうということで上手く落ち着いた。「ちゃんとお湯の出る静かで安全な場所のホテルを選んで下さい」と最後に言われた。本当に心配してくれるいい人だと思う。次のホテルが決まったら真っ先に教えよう。
2006年10月11日
my nepali life diary 2006 vol.05
10/11
今日は朝9時半にpalと待ち合わせをした。カフェで朝食を取った。ナガルコットまではバイクで約2時間かかるので、しっかりと食べておこうと思いマラサDOSA(ドサ)を頼んだ。マサラDOSAは薄い甘くないカリッとしたクレープの中にマサラ味で炒めたジャガイモとたまねぎとトマトが入ったインド料理だ。以前食べたものより随分と大きなものだったので、全部は食べきれず残してしまった。ちょっと申し訳ないと思った。食後にコーヒーを飲んでから、晴れた空の下をナガルコット(標高約2000メートル)を目指して出発した。途中までは相変わらずのカトマンドゥロード。危なっかしい車やバイクが続く。しかし山の麓にさしかかったところからは車やバイクの数が極端に減った。空気もきれいになり、砂埃もなくなり、とても気持ちが良くなった。山道をぐねぐねと登って、気温が下がるのを肌で感じた。Culb Himaraya Hotelに着いたのは12時半くらいだった。ヒマラヤ山脈が見えないか期待して確かめたが、残念ながら今日は曇っていて見られない。さらに霧が出て来ていてきれいな夕日を見れるかどうかも怪しくなってきた。とりあえずバイクに乗って疲れた体を休めようと、レストランに入った。私はバナナラッシーを頼み、palはビールを頼んだ。二人でのんびりした空間で澄んだ空気を満喫しながらゆっくりと時間を過ごした。ナガルコットはとてもいい景色の見えるところだ。朝陽と一緒に見えるヒマラヤ山脈は絶景だそうだ。私はまだ見たことがないが、観光スポットとしてともて有名なところである。年間約10万人もの人々がその感動を受けにここにやってくると、ホテルのスタッフは話してくれた。もう少し上ったところに移動をして、夕日の時間まで少し休んだ。一部屋を時間借りして、彼は昼寝をした。私はノートを広げ日記を書いた。お昼ご飯を食べていなかったので、夕方4時ごろ二人ともお腹が減ってきた。近くにガーデンレストランがあったので、そこに行った。山の景色をみながらチキンと野菜のチリ炒めをつまんだ。なかなか晴れてこなそうで、夕日が見れないだろうと話した。相談した結果、早めに山を下りることにした。すると山道の途中から街を見下ろすとすばらしい世界が待っていた。雲の下から街に向かって降り注ぐ光が街を宝石にしているのだ。感動してバイクを下り、しばし景色を見つめていた。自然が人間の作ったものに魂を入れてくれている。人間は自然によって生かされている。そんな風に感じながら佇んでいた。すると突然雨がぽつぽつと降り出してきた。急いでバイクに乗り、山を下った。しかし雨はどんどん降ってくる。びしょびしょになりながら、なんとか麓に着いたときには雨は止んでいた。そこからバクタプルへ向かった。正面入り口から入ると外国人は700Rp払わないといけないので、裏道から入ってくれた。バクタプルは古い建物がそのまま残っている、雰囲気のいい街だった。陶器を作っている場所があったので、今度ゆっくりと尋ねたいと思った。今日は街を抜けるだけで終わってしまったが、とても興味深い街だった。その後パタンにある昔ながらの居酒屋に連れて行ってもらって、夕食を取った。見た目は汚いとことだったが、現地の人たちでごった返すくらい繁盛しているようだった。ネパールのお好み焼きのようなのを食べた。味はまあまあだったが場所に満足した。
今日は一日でたくさん移動したので、ゆっくり眠れそうだ。
2006年10月10日
my nepali life diary 2006 vol.04
10/10
ネパールで初の携帯をゲットした。SIMカードを買うのにはパスポートのコピーと証明写真が各一枚ずつ必要だったが、どちらも日本から持ってきていたので簡単に購入することができた。サインをするだけで、細かい記入などはDeepakさんの友達のお店の人がやってくれることになった。Deepakさんの友達だったということで信用して任せることができた。すんなりと手続きが終わり、嬉しい気持ちになったので早速母親に電話をかけてみた。久しぶりに母の声を聞けて少し安心した。しかしプリペイド携帯の為、チャージ残料金が少なかったので携帯を買ったと言う報告と番号を知らせて早々と切った。音質も悪くなく、今後いろんなことに活躍してくれる相棒ができた。
12時前でお昼ご飯にはちょっと早い時間だったが、よく行くレストランに行くことにした。野菜モモを食べながら本を読んでいた。食後にチャイを飲んでいると「日本人ですか?」とネパール人に声をかけられた。「また、ちょっと日本語が話せるネパール人が日本人の女の子を誘いに来たんだな」と思った。日本人の女の子は軽くついて行くと思われていることが多い。実際声をかけられてひょこひょこついて行く女の子が多いのは事実なようだ。その為私はそういう子を狙ったネパール人かと思った。しかしそのネパール人はちょっと違った。日本語がかなり流暢なのだ。それもそのはず、話を聞いてみると日本人の奥さんと11歳の子供がおり、日本に住んでもう17年も経つそうだ。名前はpal。今回ネパールに帰ってきたのは3年ぶりで、その理由はお父さんが糖尿病のだからだそうだ。彼のお姉さんの子供(19歳)と一緒にお昼を食べているところだったので席を移動し、そのままレストランで小一時間ほど話をした。過去に彼は空手で全国を周ったり、大きな大会で優勝したり、日本に空手の留学をしたりと地元では結構有名(?)なようだ。しかしもうずっと日本に住んでいることもあって、今回ネパールに帰ってきても何となく外国人のように感じると言っていた。だが私の民宿計画の話をすると友達が近くでゲストハウスをやっているから紹介すると言ってくれた。やはりネパールの中のつながりは深いようである。そこのオーナーはある日本人と長い付き合いがあるようで、私に対してもとても親切に対応してくれた。今日はほんのちょっと挨拶をして名刺交換をした程度で、その場を離れた。また日を改めて話を聞かせてもらいに行こうと思った。
その後カトマンドゥモールと言う大きなショッピングモールに連れて行ってもらった。バイクの二人乗りで行ったのだが、カトマンドゥの道路は怖い。我先にとみんなが前に行こうとして、押し合いへしあいが今にも起きるんじゃないかという感じ。もちろん無事に目的地まで着いたが、自分で絶対に運転はしたくないと思った。ショッピングモールにはおしゃれな感じのお店が全4階建ての各階にあったが、あまり流行ってる感じには思えなかった。間違いなく本物ではないアルマーニやプラダの服や靴があり、多分販売許可が下りてないであろうコンバースやディーゼルがあった。特に買い物はせずお茶をしようかということで、カフェに入った。彼はピスタチオ、私はラムレーズンのアイスクリームを食べた。味はう〜ん・・・いまいち。ラムの味がほとんどせず、甘いだけだった。すると突然雨が降り出した。ボツボツと屋根を鳴らす大雨だ。帰ろうにも帰れずしばらくアイスクリームをちまちま食べつつ雨が止むのを待った。ところが雨は一向に止まない。仕方がないので小降りになったのを見計らって家まで送ってもらうことにした。そして明日はナガルコットまで夕日を見に行く約束をして別れた。
今晩8時に日本にいるときに知り合ったネパール商工会及びアスカトラベルの社長のヒラチャンさんに会う約束になっていた。今住んでいる家には9時の門限があるので、今日は他のホテルに泊まろうと考え、そのことをDeepakさんに伝えた。するとすごい勢いで、
「それは良くないことです。もし外で何か事件が起こったら、警察は私のことろに来ます。あなたの荷物がここにあるからです。9時までに帰ってくるのなら私は何も言いません。あなたの自由です。しかし泊まるのは良くないです。私はあなたの為に何でもやります。洗濯もしますし、食事も提供します。ドアのカギもあなたの好きなときにあけます。知っていますか?ここ4ヶ月のうちに75人もの子供が誘拐されたりレイプされたりしています。いつ何が起こるか分かりません。でもあなたの自由は奪いたくありません。」
と言うようなことを捲し立てられた。確かに彼の言うことは理解できた。夜、外に出るのが危ないのは分かる。しかしそれはここカトマンドゥに限ったことではない。たとえ日本であっても夜遊びをしていたら危険と隣合わせなことには間違いない。しかしヒラチャンさんに会うのは五つ星ホテル(yak and yeti hotel)のレストランであり、そこまではタクシーで行く。夜道を歩くことはないのだ。その為、私は特に危険を感じはしなかった。もちろん心配してくれるのはとても有り難いが、ちょっと困ってしまった。私はその約束を断ることはできなかったので、荷物を全部まとめて他のホテルに移動すべきか考えた。彼に気苦労をかけるのも良くないし、自分の時間を制限されるのも長くは続かないと思った。旅行で一週間くらいの滞在であれば構わないことかもしれないが、一ヶ月以上続くのは難しいことだと思った。彼は本当にいい人で信頼できる友達だ。だから余計家に泊まらせてもらうことによって関係が崩れることは避けたい。話をしているうちに時間も差し迫り、彼は言った。
「あなたのスケジュールは確定しているものなので、変えられないです。何時までだったら帰って来られますか?」「12時までには必ず帰って来られます。」
「では帰りはホテルのタクシーで帰ってきて下さい。」
ということになり、私は何とかヒラチャンさんに会いに行った。今後このことについてはしっかりと考えて結論を出さねばならないだろう。お互いを尊重しつつ、関係を維持していくにはどうするべきか。大事なことだ。
気を取り直して、ヒラチャンさんと久しぶりの再会をした。私が日本で「ネパール民宿計画」の調査をしてるとき、ネパール大使館より紹介され会うことになった。彼は大阪に住んでおり、東京で会うのは難しいと思われた。しかし私が電話をかけたとき偶然彼は東京に来る新幹線の中だった。そして、彼には30分の空いた時間があるから私と新宿で会うことになった。初めての顔合わせだったにもかかわらず、彼は私の頭をポ〜ンと叩き「よう!久しぶり」という感じだった。お互い初めて会ったようには感じず、親戚のような感じを受けた。そんな出会いをしたヒラチャンさんとネパールで会うのもとても楽しみにしていたことだ。彼はネパールと日本のことをよく知っているのでたくさん相談させてもらっている。今回もポカラに行った際は実家にホームステイをしなさいと言われているので、一週間くらいはお世話になろうかとうっすら考えている。今日はレストランで食事をしながらビールを飲み、これからの話をした。まだまだ私の計画はスタートしたばかりだが、「将来的には何か協力しあってできることはないか考えていこう」ということになった。彼はもう何十年も輸出入や旅行会社の仕事をしており、さらに国のことにもかかわっている人だ。月とすっぽんのような経験値の差があるのでたくさんのことを教わろうと思っている。そしていつか自分に力がついたとき、何かお返しをしようと考えている。日本語で話ができ、ビジネスのことにも理解のある人と話ができ、安心した気持ちでとてもいい時間を過ごせた。
2006年10月09日
my nepali life diary 2006 vol.03
10/9
二度寝をして目が覚めたのは9時過ぎ。たっぷり眠ったので寝起きはすっきり。「さぁ、洗濯をしよう」と、屋上に上がった。すると友達のDeepakさんが「もしあなたに時間がないなら僕が洗濯をしてあげるよ」と言ってくれた。はじめは断ったのだけど「君は僕のとっても大事な友達だから、特別だよ」と言って洗濯をしてくれることになった。おかげで10時から10時半の間に会おうと約束していた友達Uttamさんのところに行くとこができた。しかし彼はだいぶ遅れてやってきた。でもネパールではよくあることなのでさして不満は感じなかった。彼はアクセサリーや仏像、アンティークを扱っているお店の店主である。彼のお店には50歳くらいのおじちゃんスタッフがいるので、その彼と話をしながらUttamさんが来るのを待った。小一時間ばかりすると彼がやってきて久しぶりの再会の挨拶をした。それから昨日話題になった日本人に電話をしてもらった。ネパールに工場を持っている人で、Uttamさんとの付き合いは長いということで紹介してくれることになった。電話がつながり午後3時に事務所で会えることになった。3時までは少し時間があったので、以前ネパールに来たときに友達になった10歳くらいの少年のところにお土産を持っていくことにした。私の住んでいるところから約15分歩くと友達の家に着いた。しかし残念なことに彼は遠くに引っ越してしまっていた。前回私が日本に帰るとき、彼は男の子と女の子がブランコで遊んでいる置物をプレゼントしてくれた。私はすごく感動をしてそのお礼に今回たくさんの文具やおもちゃを持って来ていた。なので、会えなかったのは本当に残念だった。そこで近所に住んでいる別の友達に彼と連絡が取れ、住所や電話番号が分かったら教えてもらうことを約束した。いつか彼に再会できるまでお土産は大事に取っておくことにした。
2時半頃にUttamさんのお店に戻った。そして彼にビリヤーニというターメリックで味付けをしたご飯と野菜を混ぜたものをご馳走してもらった。毎日彼はお昼ご飯を作っているので、とってもおいしかった。食事を済ませて彼と一緒に日本人の経営している事務所までバイクで行った。場所はパタンに渡る橋の手前でタメルからは約15分程で辿りついた。事務所に着くと3人の日本人がいた。一人は男性、二人は女性である。私たちはしばしお互いの話をした。私はこれから民宿をやるにあたっていくつか質問をした。どうやって会社を設立するのか、どうやって家や土地をかうことができるのか、日本への輸出の仕方、彼らの仕事の内容を聞いた。彼らは衣料と仏像の日本への輸出を基本としてやっている。衣料に関しては工場を持っており、生地の制作から縫製まで一手に行っている。そして近々レストランをオープンする予定だそうだ。そこで私の専門であるインテリアを見て欲しいと頼まれた。まだ工事中だそうで、今後どうなるかはわからないが、インテリアで協力できたら光栄だと思う。これから先もいろいろと相談に乗ってもらいたいと思うので、ちょくちょく連絡は取り合おうと思った。3人ともみんないい人柄だったのでとてもいい出会いができた。ネパールに住んでいる日本人は訳300〜400人程度だと聞いているので、大切にしていきたいと思う。
夕方6時に別の日本人の友達に会うことになっていたので、5時半くらいに家に帰った。私がお世話になっているDeepakさんに紹介してもらった日本人で、彼とはメールで何度がコンタクトを取っていた。なので、お会いするのは今日が初めてであった。話では聞いていたが、とっても気のいい人だった。家で30分ほど話した後、彼の友達のやっているイタリアンレストランに夕食に行った。私はフレッシュトマト&ベジタブルパスタを頼んだ。そのお店はオープンしてまだ1ヶ月ちょっとだったが、とてもおいしかたった。基本的に日本人相手のレストランなので、日本人にあった味付けだった。私は一週間程バンコクに滞在してからネパールに来たのでパスタを食べるのは久しぶりだった。ビールを一瓶飲んで、友達を楽しくおしゃべりできたのでいい夕食になった。近々日本祭りがあることを聞き、是非行ってみようと思った。これからネパールで活動していくに辺り、日本人とのコミュニケーションは必須だ。できるだけたくさんの人と話をして情報を集めたいと思う。
今日はいい人たちに出会えてとても有意義な一日だった。みんなが「大変なことをはじめようとしてるんだね」と言うが、それは百も承知の上で精一杯頑張っていこうと改めて思った。一日一歩、ゆっくりゆっくり
2006年10月08日
my nepali life diary 2006 vol.02
10/8
ぐっすり眠ったおかげで朝はすっきりと起きることができた。さっと着替えてまず銀行に行った。昨日既に街で両替をしておいたのだが、銀行の方がレートがいいと思い確認をしに行った。しかし0.01しか街の両替所と変わらなかったので、とりあえず今日のところは両替するのを止めた。その後、当面洗濯は自分でしなければならないので洗剤を買いに行った。スーパーで何種類かあるうちの一つを手にとって、レジに向かった。ついでに水を買ってレジを済ませたところでお腹が鳴った。まだ11時過ぎ。お昼には早すぎるが朝ご飯を食べていなかったので、近くの食堂に行った。手を洗って席につくと隣のテーブルに座っている日本人に、
「日本人ですか?」
「はい」
「そっちに行ってもいいですか?」
「どうぞ」
彼はmackyと言い、ボダナートというところで約8年くらいチベット仏教を学んでいるということだった。今日は日本から送られてきた荷物を取りにタメルまで来たとのこと。お互いちょっと不自然な感じで話していた。
「日本はどこ?」
「血液型は?」
「何月生まれ?」
そんな話をしながら少しずつお互いの話をした。
私はこれからネパールに小さな民宿を作りたいので、今回の滞在は現地調査であるということを言った。すると彼はネパールに長く住んでいるのでいろいろと教えてくれた。そしてもし彼がネパールのどこかにゆっくりと住むなら「ファルピン」がいいと言った。私は行ったことのないところだったので、いい情報をもらえた。近々訪れてみようと思う。それからアンティークはボダナート・パタン・バクタプルがいいと教えてくれた。どこも調査に行こうと思っていたので、期待が膨らんだ。しかしネパールにある手工業は日本人が満足する質のものではないと彼は言っていた。これを聞いて少し不安を覚えた。何故なら、今後商品を日本に輸入しようと考えていたので、これはちょっと考えものだ。しっかりと見極めてどのように商品を作っていくかを検討する必要がある。
それから私は彼に何故ネパールを選んだのかを尋ねた。彼は大学の頃から仏教哲学を専攻していたので、ネパールに興味があったと言っていた。ネパールはチベットとインドの間にある国なので、チベット仏教を勉強する僧院はたくさんある。彼の昔読んだ本で現在の先生を知り、それがネパールで勉強をしようと決めた最大の理由だそうだ。初めてネパールを訪れたのは9年前だったそうだ。それから日本と行ったり来たりして勉強を続けている。その後、
話は変わり結婚の話になった。彼は現在の先生が結構なお年なのでその先生に教われる間は結婚できないだろうと言っていた。そこでつい私は
「でも出会いもないんですよね?」
と言ってしまったら大笑いされた。
「核心を着いたことを言うね〜!」
と、言いながらしばらく笑っていた。
しかし私にはネパール人との出会いがいっぱいあるよと言ってくれた。そこで私は
「でもネパール人の顔はタイプじゃないんです。日本人がいいんです。だってやっぱり顔でしょ?!一緒に生活していく人で、毎日顔を見るなら好きな顔じゃないと!」
と言ったらさらに大笑いされた。ぶっちゃけ過ぎてるってことで。
こんな感じで約1時間半くらいお昼ご飯を食べ、お茶をして楽しい時間を過ごした。お別れするときにお礼として、日本から持ってきていた味噌汁・だし・ふりかけをあげることにした。とっても喜んでくれたので私も嬉しかった。
その後かなりの数の迷惑メールが来ているだろうと思いながらインターネットカフェに行った。案の定2日間見なかっただけで150以上の迷惑メールが来ていた。そのうち数える程のメールを送って、その場を後にした。
その後、今後ネパール民宿計画でいろいろアドバイスをしてくれたりお世話になるManoharさんに会いに行った。以前ネパールに来ていたときに紙漉きをやらせてもらったロクタ紙屋のマネージャーである。私たちはこれからのビジネスについてモチベーション、ビジネスの基本など抽象的かつ精神的な話を2時間ほどした。彼と話すときはだいたい8割が彼の話で、私はそれを一生懸命聞くようにしている。彼は今までの経験や勉強したことから多岐に渡る価値ある話をたくさんしてくれる。まだまだひよっこの私にはとても有り難いことである。話の終わりにモモ(ネパールの餃子)を一緒に食べて家に帰った。
2006年10月07日
my nepali life diary 2006 vol.01
10/7
さらっとする風の中、ネパールの地に足を下ろした。心がすっと晴れるような気持ちになり自然に笑顔がこぼれた。
空港からカトマンズでの滞在先である友達(Deepakさん)の家までタクシーで約10分。たった半年振りの再会だったが、とても懐かしくほっとした気分になった。早速チャイを入れてくれ、屋上で二人、ゆっくりと時間を過ごした。彼の家は以前ゲストハウスを経営していたのだが、つい先ごろ閉鎖してしまった。しかし部屋はまだ残っているので今回私はその一室を無料で貸してもらえることになっていた。しかし無料というのは気が引けたので、
「いくらお支払いしたらいいですか?」
と尋ねた。すると彼は
「支払いはいいので次の2つのことを守って下さい。一つは10月14日までは21時、15日以降は日没が早くなるので20時半までに帰ってきて下さい。二つ目は人に会うときは必ず外で会ってください。」
「わかりました。」
「今はゲストハウス営業に必要な税金を払ってないので、ツーリストを泊めることができないのです。以前はよかったのですが、夜遅くになってツーリストが看板のないところに入っていくのを怪しまれて警察に捕まる可能性があるのです。なので、門限は守って下さい。そのかわりうちで夕飯をご馳走します。それからテレビもあります。自分の家族のように、家のように使ってください。」
日本に住んでいると門限なんて考えられないことだが、「郷に入れば郷に従え」。まずはその約束を守ることにした。早く家に帰って時間があるので、夜はネパール語を教えてもらうことにした。やはり今後必要になってくるものなのでいい機会だと思った。
my nepali life diary 2006 vol.00
ネパールに民宿を作ろうと決めたのは2006年の5月。たくさんの人が心から楽しめ、安心してくつろげるような民宿を作り、また来たいなと思ってくれるような空間を作りたいというコンセプトのもとに計画を始動した。そして10月から約2ヶ月半ネパールに行き、現地調査をしてきた。そこで起こったいろいろなこと、単なる生活も含め毎日つづった日記である。
2006年10月02日
i'm in thailand
here is so hot and humidity. it's more humide than Japna. i wanna go to nepal soon.
i went to a weekend market today. it was so cheap. i could buy many goods. so i'm happy today.