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2006年11月02日
my nepali life diary 2006 vol.26
11/2
6時に目をこすりながら屋上に上がった。朝陽のやわらかい光が空を薄っすらと明るくしていた。雲が少しかかったヒマラヤが静かに光を受けていた。人間の活動しだす音が少しだけ聞こえてくる中、ひんやりした空気が頭を少しずつすっきりさせていく。ポカラでの最初の朝を気持ちよく迎えることができた。しばらく陽が上がるのを見ていた。暖かい陽を肌に感じられるくらいになると部屋に戻りミルクコーヒーを飲んだ。Robinと勇治も起きて3人で朝食を取った。午後4時からの結婚式まで時間があるのでいくつか観光をすることにした。まずはこうもり洞窟に行った。どんどん暗い洞窟の奥に入っていくと、広く開けたところに出た。そして天井を照らすとそこには無数のこうもりがぶら下がって眠っていた。その数は気持ち悪いくらいだった。観光客が喜ぶと思っているのか、ガイドは私たちに「ここから写真が撮れます。どうぞ!」と何度も促した。しかし私も勇治もカメラを持ってはいたが、全く撮る気がしていなかったので「いいえ、結構です。」と言った。するとガイドはあっけにとられたような顔をしてもう一度「写真が取れます」と言った。全くの予想外の展開に当惑した彼の表情の動きがおもしろかった。それから勇治がガイドに照明を消してくれと頼んだ。すると真の闇がそこには訪れた。滅多にあることのない状況をじっくりと体験しようとしていたらガイドがあっという間に照明を点けてしまった。もう一度消してくださいといっても同じことの繰り返しだった。30秒も経たないうちに照明をすぐに点けてしまうのだ。このガイドは自分の思い通りにならないことには納得できない性格のようだ。またはマニュアル以外のことに対して臨機応変に対応できないようだ。洞窟の底から地上まではかなり急な坂、壁面とも言えるところを登っていく。洞窟に入る前に行ってくれていたらよかったのだが、かなり土まみれになる帰り道だ。途中、自然にできた鍾乳洞の形がガネーシャに似ているとガイドが言い出し、また写真を撮るように催促された。あまりあとから見てもいい写真ではないと思いながら、私は仕方なくいくつかシャッターを切ることにした。ここまででもあまり楽しい気分ではなかったのだが、出口の最後はなんと1メートルに満たない穴からの脱出だった。かなり無理なことをさせる。洋服はもちろん泥だらけ。よじ登って這い出る感じ。私は普段慣れないことをしたせいで首をつってしまった。もちろんジーパンも大分汚れた。外から這い出るところを見ると本当にあほな絵だ。最初から知っていたら来なかったのに、と少し後悔した。ガイドとしては「アクロバティックな経験になるから絶対にこれはいいことだ」と言っていたが、私はそう思えなかった。3人ともなんとかこうもり洞窟から這い出て、一服することにした。冷たい飲み物を飲んで薄っすらかいた汗を冷ました。次にもう一つ近くにあるマヘンドラ・グファという洞窟に行った。しかしここも対しておもしろくはなかった。洞窟の中を進んでいって、一番奥にヒンドゥ教の神様だろうと思われる石があるだけだ。特にわざわざ行く価値はないのではないかと思った。勇治は以前行ったことがあって、同様の感想を言っていた。そこを出るとお昼の時間だったので、ご飯を食べに行くことにした。観光客の行くレイクサイド、ダムサイドから少し離れたところにポカラの中心街がある。街に行き、勇治のおすすめのお店でモモとトゥクパを食べた。このときの注文がおもしろいほど上手くいかなかった。Robinはチキンモモとチキントゥクパのハーフサイズが一つのお椀に入ったのも、勇治はバフモモとミックストゥクパ、私は野菜モモと野菜トゥクパのハーフサイズを別々のお皿で持ってきてもらいたいと注文した。しかし注文を受けた人は勇治のミックストゥクパをどうしてもバフトゥクパにしてしまうのだ。何度も言ってやっと分かってもらって、料理がくるのを待った。すると私の頼んだものは一つのお椀に入れられてやってきた。結局正確には伝わっていなかったようだ。それでも料理はおいしかった。食事を終え、勇治と分かれて私たちはディヴィフォールに行った。別名はパタレチャンゴというのだが、昔デビットという人が恋人と心中したという話からこの名で知られるようになった。100メートルの深さに落ちていく水の勢いは圧巻である。水の流れや自然にできた地形を見ているのはとてもいい気持ちになる。今日行った中で一番よかった。その後Robinは仕事があるというので私はホテルに戻った。一時間くらいして結婚式のあるレイクサイドの方まで歩いた。ラフティングやトレッキングの会社「シャイ」の事務所に勇治がいるかもしれないのでそこに立ち寄った。すると勇治はいなかったが、タメルの本社の人たちが来ていて挨拶をした。今日の結婚式の新郎はラフティングのガイドなので参加者の多くはその友達なのだ。新婦はイギリスの人で二人はイギリスに住んでいるそうだ。シャイの人たちと話していると新郎のラジャがやって来た。これからボートに乗って島に向かうとうことなので、私たちも移動することにした。島までは小さなボートで行く。4時過ぎに島に着いたのだが、みんなはまだ来ていなかった。そこで30分から1時間は待っていた。少しずつ人がボートで渡ってきて、5時過ぎ頃に式は始まった。しかし日本で考える結婚式とは全く違い、新郎新婦と親族が小さなお寺の中に入り、10分程度の式が行われるだけだ。二人ともイギリスに住んでいるため、きちんとした式はイギリスで挙げていたようだ。そして今回のネパールでの式はイギリスに行けなかったラジャの家族の為に行われたようだ。私たちはお寺の中に入れなかったので、どんな風に行われていたのかは分からなかった。新郎新婦が寺院から出てきて、お寺の周りを3回周ってから外に出た。そして新郎のお父さんが新郎新婦とその親族にティカをして、終了した。結婚式といっても公の場所を借りてやっていたので、普通の人たちもたくさん来ていた。式中も何で中に入れないんだろうと周りには式に関係のない人たちがたくさんいた。外国人から見ると何ともおかしな風景だった。人がたくさんいたので帰りのボートは満員だった。もう沈んでしまうのではないかと不安になるほどだったが、無事船着場に着いた。その後、結婚パーティの行われる会場に行き、先に着いた人たちでおしゃべりをしながらビールを飲んで待っていた。しかしいつ始まるでもなくぽつぽつ人が集まり、食事が少しずつ運ばれいつの間にか始まっていた。最初はみんなお酒が入ってないせいか、気を使っているせいか、静かだった。おそらくこのような見ず知らずの人たちがたくさん集まる場になれていないのだろう。しかし少しずつお酒を飲んでいくと盛り上ってきた。新郎新婦にお祝いを渡したり、ここのレストランにはビリヤードもあったので、ビリヤードをする人もいれば、席を移動しておしゃべりをしている人もいた。幸せな空気と明るい声が夜遅くまで絶えることなく続いた。
投稿者 satoka : 2006年11月02日 17:08