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2006年11月07日
my nepali life diary 2006 vol.31
11/7
午前中はホテル内で仕事をしていたが、お腹が減った頃に自転車を借りてホテルを出た。先日Sushil君が教えてくれた近くのダルバート屋さんに行った。お店の中には女子高生みたいな感じの女の子たちが上手に手を使ってダルバートを食べていた。働いているのは小学生くらいの女の子だった。私はシンプルなダルバートをやはり手を使って食べた。ダルバートを手で食べるのは理にかなっているように思う。ご飯にレンズ豆のスープをかけ、野菜のカレーや青菜などを混ぜて食べるのだ。手だと上手く混ぜることが出来るし、きれいに食べきることができる。私が食べ終わった頃、女子高生たちも食べ終わっていた。日本と同じようにお化粧直しをしていたのは少しおかしかった。やっぱり同じ女の子なんだなぁと思った。食事をした後、はす向かいにあるFish Tail Lodgeというホテルの見学に行った。Fish Tail Lodgeに行くにはいかだに乗らなければならない。橋渡し用のいかだが行ったり来たりしている。私はそれに乗りまずは受付に行った。そこで旅行会社の調査の振りをして、部屋とホテル内を案内してもらうことにした。プールがあり、庭がきれいに整備されており、いくつかのタイプの違う部屋を見せてもらった。どの部屋もきれいだった。朝にはヒマラヤがきれいに見渡せるそうだ。一通り案内してもらい、ホテルの案内冊子をもらっていかだに乗ることにした。一泊の料金は高いのだが、それなりの価値はあると思った。次に向かったのはチベット難民居住地区だ。軽い下り坂が続いたので、自転車での移動は楽だった。しかし帰りがしんどそうだ。居住地区のすぐ手前にチベット密教の僧院があった。ちょうど休憩を取っていたらしく、入り口に何人かのお坊さんたちが雑談しているようだった。「ちょっと寄って行きな」と言われ、お参りをしていくことにした。中に入ると砂曼荼羅が描かれている途中だった。私は生で砂曼荼羅を描いているところを見るのは初めてだったのでじーっと見てしまった。以前カーラチャクラをインドのアマラバティというところで受けたときに砂曼荼羅は見たのだが、そのときはガラス越しだった。私が見ていると3人のお坊さんが入ってきて、完成させる為に描きはじめた。先に穴の開いた細い円錐形の金属の器具の中に色の着いた砂を入れ、側面に溝の掘られているところを別の器具で擦る。すると少しずつ穴の開いたところから砂が零れ落ちていく。それを起用に移動させながら絵を作っていく。かなり技術と集中力のいることだろう。間違えたら消せないのだから、神経を集中させて、息がかからないように気をつけながら描いていく。彼らの慣れた手つきをみながら私は関心していた。すると一人のお坊さんが「やってみるか」と言った。私は好奇心いっぱいで触らせてもらうことにした。もちろん曼荼羅とは関係ないところで試させてもらった。失敗しても何も問題はなかったのだが、何故か緊張してしまった。これをきちんと描けるようになるには何年もかかるのだなぁと思った。しかし彼らは3日で絵を描きあげてしまうと言っていた。きっと長く練習をしてきたのだろう。せっかくなので何枚か写真を撮らせてもらいった。そしてメールで写真を送ることを約束し、お礼を行って僧院を出た。お坊さんといえども、インターネットは使用している。10年前には考えられないことだったろう。次にチベット難民居住地区内にあるカーペット工場に行った。チベットの女性たちが手作業でカーペットを作っていた。彼女たちも立派な技術を持っている。一人の女の子が私のそばにやって来た。ここで働いている人の子供だ。すごく人懐っこい子供で一緒にじゃれあっていた。私のブレスレットを取っては自分の腕にはめてみたり、カメラの前で恥ずかしがりながらポーズを取ったりととても愛らしい子だった。そこで働いている女性たちは英語があまり話せなかった。しかし身振り手振りで会話をしながらしばらく見学させてもらった。難民居住地区を出ようとしたとき、ある人が「ここのすぐそばにあるDeve’s Fall(パタレチャンゴ)の滝を裏から見られる洞窟がある」と教えてくれた。早速そこに行ってみることにした。腰をかがめながら進み出たところには細い隙間があり、そこから滝が落ちる様子を見ることができた。夜になると、ここは本当の闇が訪れるのだろうと想像をしながらしばしその場に佇んでいた。目を閉じると水の落ちる音を肌に感じた。観光地と呼べるものではないかもしれないが、自然の一部を知るのにはいいところかもしれない。洞窟を出て自転車を止めていたところに戻った。そこには一人の女性がミートパイのようなものを作っていた。「ちょっと座っていきな」と言い、彼女は話出した。「私はこの仕事で3人の子供を養ってるのよ。たくさん売れることもあるけど、全く売れないこともある。でもしょうがないのよ、前のだんなは女を作って出て行っちゃったんだから。」私はなんと言っていいか分からず、ただ聞いていた。あまり長居をすると離れるタイミングがなくなりそうだったので、そこを後にすることにした。ネパールでは親のいない子供や、シングルマザーは結構多いようだ。観光だけでは分からない問題をたくさんネパールは抱えてるのだ。それらを知ることは私たちにも多少は出来るだろう。ただそれらを解決するのはかなり難しいと思う。時間もかかるだろうし、携わっていかなくてはならない人の数も多いだろう。私は答えのないことを考えながらShangri-la Villageに向かった。途中がたがた道が続き自転車をこぐのが大変だった。汗もかいてきてやっとのことで辿り付いた。Shangri-laも高級ホテルなので、設備が行き届いたきれいなホテルだった。あまりじっくりと時間をかけて見ることはできず、空いている一部屋だけを見せてもらい、資料をもらって次のFulbariホテルに行くことにした。Fulbariまでは橋を渡らなければいけないのだが、その橋が大分遠いところにあり、苦労した。何度も「この道で合っているのだろうか」と不安になりながら進んでいった。途中疲れてのどが渇いたので小さなお店でソーダを飲んだ。するとそこの家族は日本と関係があるようで、いろいろ話し掛けてきた。父親は医療ボランティアをしており、山口先生と関係があった。さらに娘は日本で学校に行ってるそうだ。そこにいたもう一人の娘さんAshmitaは英語ができたので、私たちはしばしおしゃべりをした。私は日が暮れる前にFulbariにいっておきたかったので、また帰りに寄る約束をして自転車をこいだ。途中やはり道の悪いところがあり、汗をかきながらFulbariに着いた。ここはホテル以外何もないところだ。その分景色は最高であり、様々な設備がありホテル内だけでことは足りてしまうといった感じだった。私は30分から1時間くらいかけて部屋を3室、プール、庭、レストラン、Spa、ゴルフ場を案内してもらった。最後に資料をもらい、来た道を帰ることにした。先ほどの店に立ち寄り、休憩した。紅茶を出してくれて、私はもっていたお菓子を分け合って食べた。近くに父親がやっている焼き鳥屋があるそうで、今度一緒に行こうと言うことになった。帰りがけにAshmitaは私に自分で作った造花をプレゼントしてくれた。今日出会えた記念にと。私はすごく嬉しかった。偶然に入ったお店で、山口先生と深く関わりのある家族に出会えたことはとても運が良かったとしか言えない。私はまた会うことを約束して暗くなった道を帰ることにした。途中お腹が減ったので小さなローカルレストランに入った。そこでモモを食べることにした。料理を作っているおじさんは高級レストランでシェフをやったことがあり、メニューを提案したことがあると言っていた。自慢するだけあり、確かにモモとスープはおいしかった。また来たいなって思ったくらいだった。それからホテルに戻ると丁度山口先生にお客さんが来ていた。その人はAshmitaのお父さんと一緒に働いている人だった。私はびっくりして今日の出来事を話した。すると山口先生は「よかったね」と言ってくれた。それからお客さんが帰ったあと、私と山口先生はチベット料理を食べに行くことにした。日本の鍋のようなGYAKOKを食べた。スープが良く取れていてとてもおいしかった。山口先生も「こんなに近くにいいレストランがあるのはいいね」と言っていた。しっかり食べ満腹になりホテルに戻った。今日は一日たくさん動いた日だった。疲れてすぐに眠れると思ったのだが、眠気がなかった。そこですっきりしようと思いシャワーを浴びた。ついでに洗濯もしてしまった。それでもまだ眠たくならなかったので、本を読むことにした。結局2時間近く本を読んで、やっとベッドに潜り込む気になった。
投稿者 satoka : 2006年11月07日 01:29