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2006年11月22日
my nepali life diary 2006 vol.46
11/22
明日は早朝のバスでカトマンドゥに帰るので、ポカラで最後の朝食をおじやにした。山口先生と一緒に食べてから佐野さんとGopalさんとの待ち合わせの食堂に行った。お茶を飲みながら民宿計画のことを話した。ポカラでやる場合のメリットデメリットやホテルビジネス以外の仕事について話した。私の考えている伝統技術を使ったリデザインの商品を輸出するという考えはなかなか反応がよく、可能性があると言ってくれた。しばらくすると二人はダルバートを食べた。私はさっきおじやを食べたのでダルのスープだけ食べることにした。そして食事を終えた頃偶然、通称OKバジェと呼ばれる日本人がやって来た。彼はタンセンの近くに住んでおり、タンセンに行ったときに会いたかったのだが会えなかったので出会えたことにすごくびっくりした。彼は15年くらい(1993年から)村に住み、社会活動をしている。はじめの頃は公共のことしかやらないと決めていたそうだが、時を重ねるごとに公共のことは誰でもできることなので個人のこと専門にかかわっていくようになったそうだ。例えば、5人の子供がいて父親のいない女性に対してヤギを3000Rp〜3500Rp(約4980円〜5810円)で貸し与える。ヤギは農業の助けをしてくれたり、ミルクをくれたりするので5年後には自立することができるそうだ。そしてそのヤギは返してもらうのだ。もしその時点でヤギを所有したければ売るそうだ。それから他に制服作りをやってもらう。するとカトマンドゥでは一着60Rp、その他の地域では40Rpで売れるので年間200着くらい作ると一年間生活できるようになる。しかし村における問題は仕事だけではない、最大の問題は病気であるそうだ。個人それぞれ違った問題をかかえておりOKバジェさんは彼らに耳を傾け解決策を提供しつづけている。当初英語しか話せなかった頃は「〜が欲しい」というリクエストばかりを教養のある人たちから要求されていたが、ネパール語が判るようになると全ての村人からリクエストではなくある種の叫びがたくさん聞こえるようになったそうだ。そういった人々を支援している素晴らしい人に出会えただけで今日は素敵な一日になったと言える。いつか村を訪れたいという話をして、私たちは店を出ることにした。もともとはGopalさんが土地と家の価格を教えてくれると言っていたのだが、結局彼は何の知識も持ち合わせておらずただ歩いただけになってしまった。前日に「もし調べるのに時間がかかるようだったら日を改めて来る」と言ったのだが、それは伝わらなかったようだ。その後彼らと分れ、別の友達にお昼ご飯ついでに30分くらい会ってから、NirajさんのYakitoriというレストランにAshimitaとの待ち合わせの為に行った。少し早めについてしまったので、Nirajさんにレストランの経営に関していくつか質問をした。それからAshmitaが来て、彼女の友達を待つことになった。その間もNirajさんに民宿経営のことも含め話を聞いた。その中でも従業員の扱いが大変だという話は、経営の難しさを語っていた。同じところに働くという習慣がないのか、金銭に貪欲なのか、少しでも給料の高いところが見つかると何も言わず突然来なくなってしまうそうだ。一年足らずの間に5人もの従業員が来なくなってしまったそうだ。そんな話をしたあと、ミルクコーヒーを飲みながらAshmitaと友達を待っていた。しかし友達はなかなか来なかった。一時間くらいしてやっとBimalaという友達がやって来た。私たちはセティ川の上流を見に行くことにした。そこからセティ川は地下を流れていき、6キロ先から地上に出て来るそうだ。去年セティ川でラフティングをした水はここから来ていたのだと感心してみていた。しかしかなり地下を流れているので橋から下を覗くときに足がすくみ胃が上がってくる感じがした。それから私たちはインダストリアルフェアに行った。すごく広い敷地にたくさんのブースが並んでいた。一店一店ずつ見ながら歩いていたのだが、いくら歩いても終わりはなかった。どんどん歩いて行くと開けたところに出た。そこにはステージと特設遊園地があった。ステージではライブが行われていた。私たちはアイスクリームを食べながら遊園地の方に向かった。そして遊覧船のブランコみたいなアトラクションに一人25Rp(約40円)で乗ることにした。AshmitaもBimalaも19歳とういうこともあってはしゃいでいた。乗っているのはほとんどが高校生から大学生の学生たちだった。座席のない端っこに立っている少年たちもいた。私は壊れないかと心配しながら乗った。意外とおもしろくて満足して下りようとすると、Bimalaが「もう一度一番後ろの席で乗りたい」と言い出した。そして二回乗ることになった。動き出すとAshmitaがNirajさんを見つけた。アトラクションが終わってからNirajさんを追いかけ、Ashmitaが話していた。Nirajiさんとは「また後で会いましょう」と行って私たちはもと来た道を戻った。Ashmitaがどうしても欲しいというマグカップのブースまで行ったのだが、残念ながら閉まっていた。しかし灯りがついていたので中に入ってみた。するとお店の人がまだいたので彼女はディスカウントを強いて買った。人の群れを掻き分け再度Yakitoriまで帰った。本来は山口先生とRoshさんとYogendraさんとNirajさんとAshmitaと夜ご飯を食べることになっていたのだが、Ashmitaのお母さんが調子悪いようで夜ご飯は一緒に食べられなくなった。彼女とNirajさんは帰り、お店に来たRoshさんとBimalaと3人でバイクに乗り待ち合わせのお店があるダムサイトに行った。Bimalaは家に帰り私とRoshさんはネパールの串焼きのお店に行った。山口先生とYogendraさんは先に来ていた。私たちはビールを飲みながら鳥、豚、マトン,水牛の串焼きを食べた。私はあまり普段お肉を食べないのだが、少しは食べた。9時半くらいに店を出て山口先生はホテルに戻った。私とRoshさんとYogendraさんはBusyBeeに行った。私の友達も何人かいた。それから彼らの社長さん仲間も集まっていた。5,6人の社長さんを紹介してもらい、一緒にしばらく飲んでいた。すると「カジノに行かないか」と言う話になった。私は明日が早かったので気が進まなかったが、断りきれずRoshさんとYogendraさんとChitraさんという社長さんと4人でPurbaliHotelのカジノに行った。ChitraさんとYogendraさんの車にRoshさんと私は乗せてもらって行った。カジノには結構人がいて賑わっていた。しかし夜も遅く、Roshさんと私は眠かったので帰りたかった。しかし帰る足がなかった。そこでChitraさんがPurbaliのオーナーである友達に頼んで部屋を取ってもらった。そのお陰でゆっくり泊まらせてもらうことになった。そして1時半にアラームを5時45分に設定して眠りに着いた。長い一日だった。
投稿者 satoka : 2006年11月22日 00:19