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2006年11月25日
my nepali life diary 2006 vol.49
11/25
朝ご飯にチャイと豆のカレーのようなものを少しだけ食べた。今日はPaluの結婚式なので何かプレゼントを買おうと思い街を歩いた。何軒か覗いたあと、ネパールの和紙のお店でかわいい写真立てを見つけた。それをきちんと包装してもらい、Paluの家に行くことにした。アサンチョークまで来るとどっちの方向に行ったらいいのか分らなくなってしまったので、電話をしてみた。するとPaluの親戚のSabinがバイクで迎えに来てくれることになった。私は朝の騒がしいアサンチョークで待つことにした。ここでは朝と夕方に野菜市場になる。今日は土曜日で休日なので少し人は少ないように思った。Paluの家に着き、部屋に行くと何人かの親戚たちが彼女に衣装を着せているところだった。髪の毛は既にセットされていてとてもきれいに仕上がっていた。プレゼントを渡し、ほんの少しだけ話をしてから一階に設けられた食堂みたいなところに行った。そこでチャイとサンドイッチとクッキーをご馳走になった。結婚式まではまだ時間があるようだ。それからもう一度Paluの部屋に行くことにした。今度はメイクを始めていた。そんな風景を眺めているとネパール人のPaluの友達のガイドが日本人を二人連れてきた。彼女たちは観光で来ていて今晩日本に帰ってしまうということだった。ネパール旅行をとても楽しんでいたようで「帰りたくない」と言っていた。一週間しか滞在できなかったのできっとまだまだ見たいところややりたいことが多いのだろう。当たり前のことだが、ネパールの観光は滞在が長ければ長いほど深くまで楽しむことができる。Paluのメイクが終わると写真撮影をすることになった。といっても、今日は私とSabinが身内側の撮影組みだったのでプロの撮影ではない。そのうちに鼓笛隊の音楽が聞こえてきた。旦那さんが迎えに来たのだ。車から降りるところを写真に撮るために入り口まで行った。日本人の彼女たちはそこで帰ってしまった。私は写真を撮りながら式場に入って行った。式場と言ってもPaluの家の小さな中庭だ。普段着のどこからみても普通のおじさんにしか見えないお坊さんがいて、様々な式に必要なものが用意され、座布団がひかれていた。そこに旦那さんが座ってPaluを待っている。彼女が入ってきて式は始まった。どのようなことがなされているのか想像できる範囲でしか理解できなかったが、嫁いでいくということを家族が認めるというような儀式が行われていた。そして指輪交換があり、ティカを与えていた。午後2時ごろに一度食事休憩があった。Paluと旦那さんが部屋に戻ったので私とSabinは写真撮影の為に一緒に行った。そこで様々な組み合わせで何枚もの写真を撮った。それから私はSabinとUmaという女の子と三人で食堂(仮設)に行った。バイキング形式のダルバートに列が出来ていた。少し時間を置いてから並ぶことにしてジュースを飲みながらおしゃべりをしていた。UmaとPaluは同時期に日本語を勉強していたそうだ。最初見た目は尖った感じかなと思ったのだが、全然そんなことはなくとても親近感の持てるいい人だった。バイキングの列が少し減ってきたので私とSabinは並ぶことにした。Umaはお腹が減っていないと言って、席で待っていた。食事を終えた頃、式が再開された。幸運や健康、金運などのお祈りがあった。そしてPaluの家族や親戚に対する最後の分れの儀式が始まった。Paluは涙が止まらずずっと泣きつづけていた。私ももらい泣きしそうだった。式は始まりからずっと明るい感じでお祭りのようだったが、ここへ来て何だか結婚の本来の意味を少し理解したように思った。ネパールでの家族のつながりはすごく強いので、そこから出て新しい家族を作れるということはとても辛いことなのかもしれない。それもネパールではほとんどがお見合い結婚なのでなおさらかもしれない。特にPaluは2週間前に出会い、結婚を決めたと言っていたから環境の急速な変化を強く感じていたのかもしれない。そして結婚するという実感を上手く受け止められていなかったのかもしれない。Paluはずっと黙って泣きつづけていた。そして母親との別れの時には声を上げて二人とも泣いていた。周りの人たちも静かにその様子を眺めていた。そして彼女は家を後にして旦那さんと共に旦那さんの家まで車で向かった。私たちもバイクで一緒に行くことにした。鼓笛隊と共にゆっくりと進む車が旦那さんの家に着き、私たちはPaluを見送った。そしてまたSabinとPaluは一緒に住んでいるのでPaluの実家に帰った。家ではお母さんや親戚の人たちや友達で団欒をしていた。そこに私たちも加わり、夕食にモモを食べた。丸一日かけて結婚式に参加させてもらってとてもいい経験をさせてもらえた。明後日にもパーティがあるようなので、できれば参加しようと思った。Paluの家族、親戚、友達と楽しい時間を過ごし、帰りはSabinにホテルまで送ってもらった。ホテルに着くとKiranとその友達Amarさんがいた。Amarさんはポカラに住んでいてKiranの子供のときからの友達だそうだ。今は休暇でカトマンドゥに来ていると言っていた。Amarさんが「これから飲みに行くので来ませんか?」と言われたので私は話しを聞く為に付いて行くことにした。ポカラでの民宿計画も検討中だったのでそのことについて意見を聞いた。すると民宿を作るのはいいが、旅行会社の方がもっといいのではないかと言っていた。昨日も日本語学校の校長先生に同じことを言われたばかりだったので、この意見は正しいのかもしれない。いろいろな条件を考えてみても民宿をやるよりかはリスクが少ないのははっきりしている。現地調査を始めて約一ヶ月半以上は経つ。いろいろな意見の中から少しずつ見えてくるものが私のこれからの道を照らしてる。しかしまだはっきりとは見えてこない。もう少し時間がかかるのかもしれない。だいぶ寒くなってきたタメルの街を歩いてホテルに戻った。
投稿者 satoka : 2006年11月25日 14:54