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2006年11月27日

my nepali life diary 2006 vol.50

11/27
朝7時にホテルのスタッフのBasuと待ち合わせてパシュパティに行くことになっていた。チャイを飲んでから一緒にホテルを出た。バスに乗り、ネパール1大きなヒンドゥ寺院と言われているパシュパティについた。外国人は入場料が必要なはずだったが、朝早く外国人がいないせいなのかチケット売り場に人がいなかった。そのまま通り過ぎて中に入ることができた。ここは火葬場である。既に川沿いで火葬されている遺体があった。寺院の中にはヒンドゥ教徒しか入れないので私たちは少し上ったところから見下ろすことにした。Basuがネパールの埋葬の仕方について教えてくれた。早ければ4時間、遅ければ8時間かけて遺体を全て焼き、灰は川に流すそうだ。その間親族はずっとその場にいなければならない。そして両親がなくなった場合は長男が遺体を口から燃やしていくそうだ。そして埋葬が終わると一年間白い服しか着れず、始めの30日は米としょうがしか食べられないそうだ。説明を聞いていると新しい遺体が運ばれてきて川の水で洗われていた。女性だった。きれいにされたあとは別のところに移動されてしまい、どうなったかを見ることは出来なかった。しばらく何をするともなくその空間を眺めていた。そして30分くらいしてから寺院を出ることにした。不思議なことにあまり感情が動かなかった。人が焼かれているところや遺体を生で直に見ていたのに当たり前のことにしか写らなかった。哀れみも悲しみも他人だからなのか全く感じなかった。それがそこで行われるのは当然のことで、そこに起こる感情は小さな単位(家族や友達)でしか生まれない。外国人である私が全く知らないネパール人の火葬されていくところを見ても、それは全く別の世界で起こっていることなのだ。これが現実なのだ。テレビのドラマや映画を観たり、本を読んで私たちは感動をしたり悲しくなったりして涙を流すことがある。しかしそれはどこかで現実ではない、自分の目の前で起こっていることではないと無意識に認識しているからではないか。私的な関係の全くない現実を目の当たりにするときそれを実感できればできるほどただ受け入れることに心がけるのではないだろうか。例えば現在でも戦争が終わった地域で地雷を踏んで亡くなっている人々が多くいる。もしこれが自分の家族であったら涙をながすだろう。しかし全く知らない人々がそのような状況にいるとうメディアの情報だけでは誰も涙を流さない。もし誰かが地雷を踏む瞬間を目の前で見たとする。その時に泣く人はいるだろうか?おそらくその事実を理解し、受け入れることをするのではないだろうか。パシュパティではこのような現実の受け止め方について考えられた。それから私たちはバスに乗ってチャングナラヤンに行こうと思ったのだが、バスが来ないので朝食を取ることにした。地元のレストランでタルカリと小さなナンみたいなパンとヨーグルトを食べた。食後にチャイを飲み、満腹になった。そろそろバスが来たのではないかと外に出ると、学生たちのストライキが起こっていた。交差点に無数の学生たちが集まり何やら叫んでいた。内容はよくわからなかったがしばらく収まりそうになかった。幸い私たちのバスは逆方向だったので、チャングナラヤンに向かうことができた。運良くバクタプル行きのバスにすぐに乗ることができ一安心だ。バクタプルに着き、乗り換えをしなくてはならなかったので、バス停まで歩いて行った。バクタプルは古い街をそのまま維持しているのでそこの持つ雰囲気は独特だ。見ていて安心する感じがある。バス停に着いたのはいいが、バスが来るかどうか定かでなかった。とりあえず待ってみることにした。バスは目の前を何台も過ぎていくのだが、チャングナラヤン行きはなかなか来ない。しかしバス停で待っている人は結構いるので必ず来ると信じていた。そして待ったかいあってバスが来た。みんなが乗り込み空席はなかったので、立ったまま狭い道を進んでいくことになった。途中にある村に何度か止まりながら丘の上にあるチャングラナヤンに到着した。バスから降りてみると一瞬でここが気に入った。とっても静かな街で入場料を払って入る。入ってみると建物が醸し出す空気がとてもきれいだった。チャングナラヤンの寺院があるだけの街で、そこまでの坂をあがっていく。お土産屋さんが両脇にあるのだが、無理に売ろうとしないところもここの良さの一つかもしれない。坂の途中に子犬がいて、一緒に遊んだ。まだよちよち歩きの本当の赤ちゃんだ。坂を登り切り寺院の門をくぐる。そこにあったのは色のきれいな寺院だった。ヒンドゥ寺院はあまり色があるように思っていなかったがここは他と少し違った感じがした。寺院に施されている彫刻は他の寺院と同様に細かく作られていた。満足するまで鑑賞してから門を出た。そしてそこから小さく見えるヒマラヤ山脈を見つけた。薄っすらと山の奥に顔を出していた。そしてもと来た道を戻っていった。バスの停車場に着いたが、まだ出発しそうになかったし、もしバスが来たら道中で止めて乗ればいいので少し歩くことにした。途中で目下に広がる街を見るのに立ち止まった。そこでも子犬がいた。先程の子犬と同じくらいの子供だった。じゃれあってからBasuが「バスが来ないからもう一度戻ろうか」と言い、またバス停まで歩いた。すると向こうからバスがやって来た。私たちはそのバスに乗ってバクタプルまで戻った。終点で乗り換えカトマンドゥ行きのバスに乗った。チャングナラヤンを出てから一時間半くらいでカトマンドゥに着いた。バスを降りてBasuとは分かれて私はホテルに戻った。お昼ご飯にダルバートを食べに出ただけでPaluの結婚披露宴までは部屋にいた。Sabinが4時半に迎えに来てくれると言っていたので、それまで部屋で調査内容のまとめをしていた。Sabinが迎えに来てくれ、Paluの家(Sabinの家でもある)まで行った。5時にCWHotelというところに行くと言っていたのでそれまで部屋で待つことにした。親戚がいろんな準備をしていた。飾りを作ったり荷物を運んだり、着替えをしたり。とっくに5時は過ぎていたのだが、まだ準備ができていないようだった。私はお茶を頂きそんな風景を見ていた。何か手伝おうとしても手伝わせてくれないので、ただただ待っていた。6時ごろになりみんなで車に乗って移動することになった。会場にはPaluが着飾って待っていた。とてもきれいだった。たくさんのお供え物のように食べ物が運び込まれ、式が始まった。そして家族親戚から順にプレゼントやお祝いを渡していった。そして友達まで全てが終わると後は開園までずっと歓談だった。ネワール式の結婚式は全部で4日間行われるそうだ。私が参加したのは中2日。後一日はどんなことをするのか楽しみだ。上手く時間が合えば是非参加したいものだ。今日は大勢の人がPaluの結婚を祝いにやって来ていた。日本と違うのは旦那さんは少し遅れて来ていて、Paluとは一緒にいず友達とお客さんのように話をしていたということだ。その辺りは文化の違いなのでよく分らないままにしておいた。9時過ぎに会場を後にしてPaluの家に戻った。そして一時間くらいおしゃべりをしてからホテルに戻ってきた。めでたい席に参加できたことで心が楽しく嬉しくなった。今日はこれ以上難しいことを考えずに寝ることにしよう。

投稿者 satoka : 2006年11月27日 17:50

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