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2006年12月21日

my nepali life diary 2006 vol.73

12/21
帰国の便は2時出発なので、午前中にいくつかやることがあった。パスポート写真を撮ることとパスポートのコピーを取ること。それからサンジャイさんとラマお兄さんの家を見に行くことだった。朝起きて急いで準備をして、写真屋さんに行った。撮影をぱっと終わらせ写真は後で取りに来ることになった。次にカラーコピーのお店に行き、パスポートのコピーをしてもらった。そんなに時間はかからずできた。そのあとラマお兄さんのところにサンジャイさんと行き、車で家を見に行った。住宅街にある普通の建物だった。民宿にどうかということだったが、ちょっと難しいだろう。それから写真を取りに行ってホテルに戻った。荷物を車に乗せ、銀杏旅館のスタッフにお礼をいって空港に向かった。着いたのは12時半頃だった。いろいろお世話になったサンジャイさんにお礼を言いチェックインをした。
これで「ネパール民宿計画」の第一調査は終了した。思い返せばいろんなことがあった二ヵ月半だった。たくさんのことを知れば知るほど現実が見えてきて、実現の可能性が薄くなってきた。そんなときに出会った筋田さんとサンジャイさん。もしネパールで民宿をやることになったら、彼らの存在は私のこれからの活動に関わっていきそうである。日本に帰りこの2ヵ月半の調査結果をまとめ、頭を整理し次のステップを決めていこう。とにかくいい時間を過ごすことができた。私が進んできた道に関わってくれた人々全てに感謝したい。ありがとうございました。

投稿者 satoka : 16:10 | コメント (0)

2006年12月20日

my nepali life diary 2006 vol.72

12/20
明日帰国するので午前中いろいろ挨拶周りをした。まずはUttamさんのお店に行くことにして歩いていると、Deepakさんが家の前にいたので挨拶をした。Uttamさんはお店にいなかったので一時間後に来る約束を電話でした。Deepakさんにも「また後で来ます」と言って、タメルチョークに行った。そこでPaluの弟のSabinと待ち合わせをしていた。彼のお母さんが私にプレゼントをくれるということだった。Sabinが持ってきてくれたのは紺色のショールだった。喋々の形にクリスタルのビーズが散らばっていてとてもきれいなものだった。私は全く想像もしていなかったことにびっりしたのと同時にとても嬉しかった。Sabinと立ち話をしていると宮城さんが偶然通りかかった。Sabinの日本語の先生の先生が宮城さんだったそうでSabinは宮城さんの顔を知っていた。私は宮城さんに帰国のことを言い、またメールを送る約束をした。3人が別々の道に行き、私は友達のインターネットカフェに行った。そこにRajが偶然いて明日帰ることを伝えた。その後サンジャイさんに頼まれていたサンドイッチを買い、UltimateDesentsに寄った。帰ることを言ってオフィスを出ると、まだUttamさんとの約束まで30分あった。そこで彼に電話をして家に行くことにした。部屋に案内されるとUttamさんの飼っている犬のリザが大きくなって遊んでいた。子供が一緒に遊んでいたので、私も混ざって犬と子供と遊んだ。それからUttamさんと話をしていると、「ちょっと待って」と言われ彼は席をたった。奥からチベットの石のペンダントを持って出てきた。そして「どうぞ」といい私に渡してくれた。私はこうやってみんなからいろんなものを日本に帰るときにもらえることを改めて感謝した。ネパールにいる間にお世話になった人々に心から感謝をしたい。たくさんの人の力に支えられて今日まで問題なく生活してこられた。この感覚を大事にしていきたいと思う。次にUttamさんの家を出て、Palに持っていくCDを受け取るためにSangaに会った。私はこれだけのことを1時間半くらいでやってホテルに戻った。ホテルでシャワーを浴び、お昼ご飯を食べてからサンジャイさんとラマお兄さんとSangaというところに行った。そこにはラマさんの土地があり、民宿の立地としてどうかということで見せてくれた。ドゥリケルに行く途中にあるところなのだが、道は舗装されていない。しかし一年後には舗装される予定だそうだ。土地の場所はとてもいい。ヒマラヤ山脈がパノラマで見え、バクタプルの街を見下ろすことができる。空気もきれいだし、いいところだった。帰りにお腹が減っていたので少し食べてからカトマンドゥに戻った。今日は最後の夜だということでみんなでさよなら会をしてくれた。仕事の話もふざけた話もできるいい仲間のように感じることができた。部屋に戻り荷造りをしてた。長かったような、あっという間だったような2ヶ月半の調査が終わる。何となく思い出しながら寝ることにした。

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2006年12月19日

my nepali life diary vol.71

12/19
朝7時半にホテルを出て、マナカムナにサンジャイさんとラマお兄さんとお兄さんの友達と4人で行った。マナカムナという神様はどんなお願い事でも叶えてくれると言われている。途中一度だけチャイを飲むのに止まった。外の空気は冷たい中、温かいチャイが体を通っていく。それから約2,3時間車で行ったところにマナカムナはある。着いてびっくりしたことは山の上に上るケーブルカーに列ができていることだ。私は勝手に並ばないで登れると思い込んでいたから驚いた。車を下り列に並んでみるとテーマパークのようにきれいに作られているのが分かった。建物の中に入り並んでいると「テレビでカトマンドゥで10時から4時までストライキがある」というニュースが流れた。それを聞いて私たちは夕方までマナカムナに居ることにした。どうせ早くに帰ろうとしても通行止めになって待つだけだからだ。やっとのことでケーブルカーに乗ることができた。かなりの急斜面をケーブルカーは進んでいき、まるでスキー場のゴンドラのようだった。ケーブルカーが到着し、お土産屋さんがたくさんある道をお寺の近くまで歩いた。私たちはお寺のそばの一階が食堂で二階が宿になっているところで、お茶を飲みながら朝ご飯を少し食べた。それから町を散歩した。とても静かなところで景色も空気もいいところだった。みんなお参りの前に体を洗い清めるので、参列には4人が順番に並ぶことになった。私はヒンドゥ教徒ではないというのと、そのことを知らなかった為に水のシャワーを浴びることはしなかった。3人は決まりどおり供養をし、お願いをしていた。私も見よう見真似でお祈りをした。お参りをした後は、夕方までビールを飲みながら話をしていた。3時ごろにダルバートを食べた。遠足に来ているような時間を楽しく過ごした。そして4時半頃にケーブルカーで下に下りた。それから車で日が暮れ真っ暗な道を走った。途中でお茶をしたので、カトマンドゥに着いたのは8時半ごろだった。それから昨日と同じレストランで夕食を取った。

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2006年12月18日

my nepali life diary 2006 vol.70

12/18
昨日できなかった分の買い物と帰国が近づいた為、何人かに挨拶をしに行った。まずは帽子を買うためにJayのお店に行った。15、6個の帽子を選びかなり安くしくれた。一緒にチャイを飲みながら少し話しをした。先日あった彼のお兄さんの結婚式の写真を見せてくれた。奥さんがすごく可愛かった。Jayに帰国のことを伝え、また会える日を楽しみにしてお店を出た。それからもう一軒帽子屋さんに寄って3個買った。帽子だけで20個近く買ったことになる。手ごろでちょうどいいお土産であるのと、以前商品として日本に送っていたのでその癖が残っていたようだ。次にネパールの手漉き紙を何枚か買ってからNirのインターネットオフィスに行った。そこでSushilくんから日本で注文してある中古ノートブックパソコンの料金をもらった。そして私は借りていた本とセーターを返した。本当はSushilくんの家に行きたかったのだが、ちょっと時間がなく行くことができなかったのは残念だ。最後に「また来年会えたらいいね」と言い、Nirと二人で彼の家に行った。彼に洗濯してもらっていた上着を受け取り、代わりに借りていた上着を返した。どうしても私に「何かをプレゼントしたい」と言い、部屋にあったボストンバックを渡された。さっき買った帽子や紙を入れるのにちょうど良かった。それからタメルにピアスを買いに戻った。お土産用にいくつか買い、Nirとは分かれた。その後Uttamさんのお店に行った。しかし彼はいなかった。仕方がないのでまた別の日に挨拶をしに来ることにして隣のDeepakさんの家に行った。チャイを作ってもらいもうすぐ帰るということを伝えた。彼の子供のPardanと一緒に遊んでからManoharさんのオフィスに行った。Manoharさんと夕食を一緒に食べる約束をしていたからだ。荷物をオフィスに置かせてもらい近くの桃太郎レストランに行った。そこでダルバートを食べながらいろいろ話してくれた。彼は私にたくさんのアドバイスをしてくれるのだが、その理由を始めて話してくれた。彼は昔1000$くらい騙されたことがあったそうだ。そしてビジネスを始めた頃に誰もアドバイスをしてくれる人がおらず、大変だったので私にいろいろアドバイスをしてくれているそうだ。その話を聞き、感動した。サンジャイさんも同様のことを言っていた。彼らは自らの経験を私のようなこれから何かをやろうとしている人たちにアドバイスをして助けてくれている。このような出会いを大切にしていかなくてはいけないと改めて感じた。途中で宮城さんというManoharさんの古い友達がお店にやって来た。宮城さんにも民宿計画の話をして助言をもらうことができた。宮城さんは何十年もネパールに来ていて、ネパール語がぺらぺらだ。そして市役所の土木課を退職した後、ネパールの土木の仕事に関わっていたと言っていた。そこで水増し金額の請求を目の当たりにした時の話を聞かせてもらった。あまり時間がないようでゆっくりは話せなかったが、とってもいい時間だった。夕食後Manoharさんのオフィスに荷物を取りに行き、また会いましょうと約束をした。その後サンジャイさんとラマお兄さんのいるレストランに行った。みんなで楽しく飲んでからホテルに帰った。

投稿者 satoka : 14:02 | コメント (0)

2006年12月17日

photos in nepal

this is my photos in nepal.
please check it!! it would be so wonderful.(hehehe)

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投稿者 satoka : 15:26 | コメント (0)

my nepali life diary 2006 vol.69

12/17
9時過ぎに起きてぼ〜っとしたままチャイを飲んだ。午前中はホテルでメールのチェックをしたりサンジャイさんと話をして過ごした。それからお土産を買いに出かけた。サンジャイさんと彼のカフェに行き、店長でありサンジャイさんの友達のデブちゃんと3人で私の買い物に付き合ってもらった。彼らのお勧めのお店に連れて行ってもらった。パシュミナのショールとセーターをまず買いにいった。大通りから奥に入ったところにあるお店で観光客はあまり来ない感じのところだった。たくさんある中からショールを選んだ。セーターは欲しい色がなかったので後日取りに来ることにした。それから、お風呂に入れて入るといいと聞いていたので岩塩を2キロ買った。あと、今晩のつまみ用にカシューナッツとピスタチオとくるみを買った。今晩はデブちゃんと3人で家で飲むことにした。ホテルに帰るとデブちゃんがつまみの用意をしてくれた。カシューナッツとクルミを油で揚げてカラッとさせて食べた。ビールを3人で飲み、楽しかった。サンジャイさんの友達のネットワークが分かり、みんなおもしろくていい人たちなので楽しく一日を過ごすことができた。

投稿者 satoka : 13:51 | コメント (0)

2006年12月16日

my nepali life diary 2006 vol.68

12/16
今日は筋田さんが日本に帰国する日だ。朝から筋田さんはいろんな人に会いに行ったり、買い物をしたりと忙しそうだった。私はのんびり本を読んだりインターネットで今までネパールで撮った写真を見れるようにアップロードしていた。お昼は筋田さん、サンジャイさん、サンジャイさんのお兄さんと4人でレストランに行って食べた。そこで筋田さんと今後のことについて話をしておいた。出会った始めの頃から「今彼らがやっている「銀杏グループ」に私が入って民宿計画をやるのかどうか、これから自分の考えをまとめてくれ」と言われていた。しかし私はグループに入ることはあまり考えられなかった。ネパールで会社を作るのは時間もかかるし、骨の折れることだが私一人の名義で会社を作ることは可能だ。会社を作るだけであれば150万円あればできることなので、銀杏グループの株を買って会社を作る手間を省けるメリットはあまりないと思った。それに私には尊敬する先生が日本にいる。私は先生と一緒にこの計画を進めているので「銀杏グループ」に入るつもりはないのだ。そのことを筋田さんには理解してもらった。午後、私はホテルで考え事をして過ごした。8時前には筋田さんを空港まで見送りに行った。なかなかチェックインカウンターが開かなかったようで、私とお兄さんは外で1時間くらい待った。筋田さんに「また会いましょう」と空港で分かれた後、サンジャイさんとお兄さんと私は夕食を食べに行った。そこでサンジャイさんと私はいろんな話をした。銀杏グループがどうやってできたのかという現実的な話を聞けてとても良かった。それからサンジャイさんのやりたいことや考え方などたくさんの話ができた。ホテルに帰ってからも話は続き朝の5時までずっと話していた。銀杏グループとは別に私の会社を作り、インテリアの仕事をやっていくのが可能であるというところまで話は進んだ。しかし最終決定はまだできないのでしっかりと考えてみようと思った。

投稿者 satoka : 13:33 | コメント (0)

2006年12月15日

my nepali life diary 2006 vol.67

12/15
午前中は近くの大きなスーパーマーケットに行った。そこは本当に大きく何でも揃っているといった感じだった。私はお土産にHIMARAYAというブランドの化粧クリームとリップクリームを買った。それから二階に上がり、岩塩を砕く器具を買った。筋田さんはトイレの便座カバーを探していたのだがここには売っていなかった。それからタクシーでダルバール広場に行った。そこには「99ショップ」がある。99円ではなく、99ルピー(約165円)のものばかり並べられたお店だ。そこで筋田さんがCDケースを買った。あまり質のいいものは置いてなさそうだったが、ジーパンが500円くらいで売っていた。サイズとデザインが気に入ればかなりお買い得だ。店を出てダルバール広場で筋田さんの昔からの知り合いと少し話してからタメルの方に戻ることにした。途中で筋田さんが寄った友達のパシュミナ屋さんがPaluの家の隣だったので、私はPaluの従兄弟のSabinに電話をかけた。彼は仕事中だったが、Paluが家にいることを教えてくれた。そこで私はPaluに会いに行った。Paluは来月旦那さんがアメリカに行ってしまうので、どうやってビザを取ったらいいのか悩んでいた。ネパール人が海外に行くのはなかなか難しいことなのだ。日本に行くには日本人からの招待状が必要なのだ。しかし私はアメリカのビザの取り方が分からなかったので後でサンジャイさんに聞いてみることにした。筋田さんも後からPaluの家に来て、3人で話していた。12時過ぎた頃にPaluの家を出た。途中で岩塩を筋田さんが買い、タメルに着いた。すると偶然道端にこないだロイヤル華ガーデン(銭湯)で会った日本人の女の子がいた。本当は昨日ホテルに来るはずだったのだが、道を間違えてしまったようで来れなかったのようだ。私たちは一緒にお昼ご飯を食べに行くことにした。日本食レストランでざるうどんを食べ、彼女の話や筋田さんの話を聞いていた。その後3人でホテルに戻りサンジャイさんと4人で話をしていた。日が暮れる前に彼女は帰り、私は日記を書いたりメールの返信をした。夕方ポカラの友達がカトマンドゥに来ていたので、一緒に食事をしに行った。こないだ行ったロイヤル華ガーデン(銭湯)で食事をすることにした。石狩鍋はとってもおいしかった。しゃけを食べたのは2ヶ月以上振りだったので、余計おいしく感じたのかもしれない。その後、生バンドの居酒屋に行ったのだが音量が大き過ぎてあまり話が出来なかった。10時半頃に帰ったのだが、随分疲れていた。

投稿者 satoka : 13:26 | コメント (0)

2006年12月14日

my nepali life diary 2006 vol.66

12/14
昨日、一昨日の疲れのせいか寝起きがあまり良くなかった。7時過ぎにサンジャイさんが朝ご飯を持ってきてくれ、眠気眼でコーヒーを飲んだ。トーストとゆで卵をゆっくりと食べているうちにだんだん目が覚めてきた。筋田さんはツェリンに会う為に8時半頃ホテルを出た。私はメールをチェックしようとノートパソコンをLANケーブルに接続していた。するとサンジャイさんが紅茶を入れてきてくれた。そして一緒にしばらく話をしていた。いろいろサンジャイさんの意見を聞けたのはとても良かった。もちろんパートナーと言えども他人なので筋田さんとは違った考えも持っていた。筋田さんのボランティアに対する考えとサンジャイさんのビジネスに対する考えは全く違ったように見えるが、何かをやり遂げると言う点においては同じことである。しっかりと人の動きを管理することは難しいことだが、そこに力を入れていかないと特にネパールで何か一つのことを成し遂げるのは難しい。お昼にTapanと会う約束をしていたのでメールの返事をできないまま、サンジャイさんは病院に行くので一緒にホテルを出た。昨日サンジャイさんが言っていた体調が悪いというのは胆石だったようだ。以前も手術をしたことがあるようだが、再発してしまったようだ。私はタメルでTapanと会い、Tapanの友達と一緒に3人でダルバートを食べに行った。Tapanは年末実家に戻り、次のラフティングのシーズンは2月後半からなのでそれまで一ヶ月くらい実家にいると言った。帰りがけにTapanはお土産にと仏像とストラップをくれた。私たちは以前ラフティングに行った帰りに仏教の話をしていたので、それを覚えていたのかもしれない。帰国するときにこのようにプレゼントをもらうのは相手の気持ちが伝わりとてもいいものだ。彼らと分かれた後Manoharさんのオフィスに行った。最近何をしていたかと言う話から始まり、これからどうしていくかという話をした。Manoharさんは帰る前にもう一度養鶏場に行こうと誘ってくれたが、私は断ることにした。何となく行く気がしなかったのと、帰る前にいろいろやらなければならないことがあったからだ。その代わり帰る前に一緒に夕食を食べることにした。Manoharさんはネパールのお茶をお土産にくれた。オフィスを出て今度はUttamさんのお店に行った。そこにUttamさんと長い付き合いの日本人がいた。30年前くらいからネパールに来ているという輸入業をやっている人だった。そこでチャイを飲み、少し話をしてからDeepakさんの家に行った。Deepakさんは来年自分の家を作るそうだ。どんな家を考えているのか図面をみながら説明してくれた。その為ここの家はゲストハウスとして誰かに貸すそうだ。まだ借り手は見つかっていないようだが。チャイを入れてもらいお菓子をつまみながら聞いていた。来年家ができたら是非行ってみたいものだ。帰りがけに帰国前に止まっていってくれと言われたがManoharさんに断ったのと同じ理由で断ることにした。しかしなかなか納得してくれなかったので考えておくと言っておいた。それからあやこさんに会おうと思ったのだが、会議中で会えなかった。ホテルに戻る前に新しいパズルリングを探した。なかなかいいものが手ごろな値段で売ってくれるところがなかったのだが、最後に見つけることができた。結構話をしてお互いの言い値の間で買うことができた。それから25分くらい歩いてホテルに帰った。それからはメールのチェックの残りをやった。夕食に野菜スープを作ろうと思いスタッフの女の子と一緒に野菜を買いに行った。私が片言のネパール語を話すとすごくおかしいらしくずっと笑っていた。後からサンジャイさんから聞いたのだが、彼女は奥さんの妹であり、彼女の旦那さんはマレーシアにいるそうだ。しかも子供は旦那の実家のチトワンにいるのでいろいろと彼女は問題を抱えているようだ。買い物から帰ったのは7時半頃だったのだが、まだお腹が減っていなかったので一時間くらい筋田さんとサンジャイさんとビールを飲みながら話をしていた。スタッフの女の子の勤務態度について話をしていたので、私はただ聞いていた。9時前に一階のキッチンで料理を始めた。サンジャイさんが一緒に手伝ってくれて、話しながらできたので楽しかった。和風だしで作ったスープを時間をかけて作った。出来上がったスープを3人で食べてから寝ることにした。

投稿者 satoka : 13:22 | コメント (0)

2006年12月13日

my nepali life diary 2006 vol.65

12/13
朝起きて外を見た。まるで雲の上にいるようだった。霧が目下に立ち込めていて山の麓を覗くことができなくなっていた。何とも神秘的な景色だった。すばらしい風景を見ながら絞りたての牛乳を飲み、ビスケットをかじった。ゆっくりと光が動いて時間を感じることができた。朝陽が登り空気が暖かくなって来た頃テントを畳んだ。帰りの支度が済み、リラさんの家でダルバートをご馳走になった。初めて私はザンパを食べた。リラさんの家のザンパはとうもろこしの粉を水で溶き練ったものだった。採りたての野菜を使ったダルバートはとってもおいしかった。みんなにお礼とお別れの挨拶をして、11時ごろ山を下り始めた。下りるのは登るのに比べてとても楽だった。すいすい進んで行き、1時間くらいで下りてしまったのではないだろうか。ドルマの家に着き、荷物を置かせてもらい10分もあれば周れてしまう町を散歩した。本当に小さな町だが道の両脇にお店がたくさんあり、生活に必要なものをほぼ揃いそうな感じだった。食堂のようなところで軽く昼食を取った。あまりおいしくはなかったが仕方がない。それからドルマの学校に行った。日本の小学校と比べたら小学校とは呼べないようなところだったが、子供たちは楽しそうに勉強していた。筋田さんがドルマの写真を撮り、荷物を取りに戻った。サンジャイさんとお友達が2時に車で迎えに来てくれた。サンジャイさんが一人で迎えに来る予定だったのだが、体調が悪いようでお友達に運転を頼んだそうだ。車を走らせ少し行ったところでサンジャイさんがお昼を食べていなかったので一回止まった。筋田さんとサンジャイさんがインスタントラーメンを食べ、私はチャイを飲んだ。帰り道筋田さんは疲れて眠っていた。私も眠りたかったのだが、車の揺れが激しかったので寝付けなかった。その代わりずっと外を見ていた。カトマンドゥは渋滞していて、ホテルに着いたのは6時くらいになってしまった。昨日の山登りと今日の下りで疲れた体を癒そうということになり、銭湯に行った。ロイヤル華ガーデンという銭湯がホテルから少し行ったところにある。作りはよく、温泉に来たような感じでゆっくりできる。しっかりと温まり疲れを癒していると、日本人の女性が入ってきた。彼女はシタールというインドの楽器の奏者だそうだ。今はインドで旅行しており、ビザの申請のためにネパールに来ていると言っていた。久しぶりのお風呂に満足し、銭湯に付いているレストランでおそばを食べた。おいしいご飯にも満足してホテルに戻った。DVDを見ようと思ったが、疲れていて眠たかったたのでそのまま寝ることにした。

投稿者 satoka : 13:10 | コメント (0)

2006年12月12日

my nepali life diary 2006 vol.64

12/12
朝5時に起き、ラムチェ村に行く準備をした。サンジャイさんのお兄さんが迎えに来てくれてサンジャイさんとお兄さんは筋田さんと私をラムチェ村の山の麓まで車で送ってくれた。途中ドゥリケルにあるホテルで朝食を取った。少し靄がかかっていたが、ドゥリケルからみるヒマラヤはとっても素敵だった。ひんやりとした空気の中でコーヒーを飲むのは最高だ。ビュッフェ形式の朝食を食べ、風景を楽しむことができた。ホテル出て少し行ったところで一旦車を止めた。そこには果物や野菜を売っているお店がたくさん並んでいた。筋他さんが果物を買っている間、私はそこにいた女の子と遊んでいた。とってもかわいい笑顔の女の子だった。着ている服はかなりのボロだったが、その貧しさを全く感じさせない笑顔を見せてくれた。それから1時間弱くらい車で行くとバラベシというところに着いた。そこでサンジャイさんとお兄さんにお礼を言って、彼らはカトマンドゥ帰っていった。荷物を一ヶ所に固めて置き、筋田さんと村に持っていくものの買い物をした。子供たちにあげるお菓子とリラさんという筋田さんとラムチェ村を引き合わせた人の家にあげるバケツと私たちの食べる野菜だ。ラムチェ村では自炊をする。それから筋田さんが個人的に学校に行けるよう支援しているドルマという女の子の家を訪れた。彼女は学校に行っていて家にはいなかったので、両親に挨拶をしてから山を登り始めた。標高3200メートルにあるラムチェ村まで約2時間半、石で作られた階段をひたすら登っていく。始めはかなりきつくすぐに息を切らしてしまった。途中この辺りの村に住んでいる女性2人に会った。言葉は判らないがアイコンタクトをしながら一緒に登った。彼女らは楽に平地を歩くように登っていく。しかし私たちに気を使ってくれ、私たちのペースに合わせながら進んでくれた。休憩も一緒にしてくれた。すごく温かい思いやりを感じることができた。全部で3回休憩をして、村の最初の学校に着くことができた。子供たちがたくさん寄ってきて身動きが取れなくなるくらいだった。みんな興味津々で私の顔をじっと見ていた。私はどんな学校なのか一周見学させてもらった。何枚か写真を撮ったのだが、みんなが押し寄せてきてなかなかファインダーに収まらなかった。それでもなんとか何枚か撮ることができた。それからおいしいレモンティーを頂いてからリラさんの家に行った。リラさんちの前にスペースがあり、今日はここにテントを張って眠る。着いてすぐにテントを張って、それからお昼ご飯を作った。作ると言ってもインスタントラーメンだが。それでも汗をかきながら登ってきた後のインスタントラーメンはおいしかった。それから今日の一番のイベントが始まった。筋田さんが以前ラムチェ村に持ってくるのを忘れていた中古の洋服を持ってきたので、それらを子供たちに配るのだ。これが筋田さんのラムチェ村に対するボランティアの一つのようだ。まずは地面にシートをひき洋服を広げた。そしてリラさんが子供たちそれぞれに洋服を体にあて、サイズを確認しながら渡していった。子供の数が多く洋服が足りない。毎回洋服を持ってきて配っているそうだが、まだまだ足りない。誰もが「それを私にちょうだい」と大声を上げていた。あっという間に洋服を配り終え、今度はお菓子を渡す。みんなに並んでもらって渡して行くのだが、小さな手がたくさんむかってくる。全て配り終わって、やっと一息つけた。それからはしばらく子供と遊んでいた。しかし私は何だか不思議な感じを受けていた。本当に「洋服やお菓子を配る」のは彼らの為にやっていることなのだろうか。もちろんはたから見ればボランティアは人の為にやっているように見える。しかし私は洋服をあげているその人が自分の為にやっているのではないかと思ってしまった。貧しい村の人々は一日500円を稼ぐことも難しいのだが、それでも彼らは平和に暮らしてきていた。そこに外国人がものやお金を持って現れる。そうすると今までなくてもよかったものが、外国人からもらえるという考えが彼らに植え付けられてしまう。そうすると今までなくてよかったものが、ないことに不満を感じてくる。これは悪循環なのではないだろうか。欲を作ってしまうことになる。それならば何もものを持たず、わが身一つで村に行き「あなたたちから教わりたいことがあります。どうか一緒に何日か過ごさせて下さい」とお願いする方がよっぽどいいボランティアにならないだろうか。まず彼らに外国人というものの存在を知ってもらい、彼らのすばらしさを再認識してもらえる。そしてもし外国人に興味を持ってくれたら村から街に出ようと努力するのではないだろうか。口で言うほど簡単なことではないと思うが「ものをあげるボランティア」には疑問を感じた。陽が落ちる前に夕食の用意を始めた。お米を洗い、野菜を切った。今日は野菜ポトフとご飯だ。まずはポトフを作り、その後にお米を炊いた。しかし標高が高い為にご飯はべちょべちょになってしまう。水を多くしないと芯が残ってしまうそうだ。食事を終えテントに入ったのは6時ごろだった。夜は長い。しかし満天の星が私たちを暇にはさせなかった。ロキシーを飲みながら人工衛星を見つけ、流れ星が視界に飛び込んできた。星が動くのを見ていると地球が動いていることを感じられた。そして一つの星をじっと見ていたら消えた。びっくりしたがそれは星が本当に消滅したのだろう。遠い遠い昔に。とてつもなく大きなものに包まれているという感じを受け、自然をたっぷりと味わってから眠りについた。

投稿者 satoka : 12:46 | コメント (0)

2006年12月11日

my nepali life diary 2006 vol.64

12/11
今日は珍しく雨が降っている。そのせいで一日中寒かった。10時前にサンジャイさんの妹のサルちゃんがやってきた。筋田さん、サンジャイさんと4人でこれからのことを話した。サルちゃんが一緒にリゾート計画に参加できるかどうかや筋田さんの今やっていることを話した。サルちゃん(サルジニ)は日本に長年住んでいたので、日本語が完璧である。筋田さんの話には興味を持って聞いていたようだ。少し時間を使って考えてみてみると言っていた。私は11時半にAtmaさんに会う約束をしていたので、タクシーで待ち合わせ場所まで行った。びっくりしたことに近い距離だったので50〜100Rpだと思っていたものが150Rpもかかった。もしかしたらぼったくられていたのかもしれない。でも怒っても自分が嫌な気分になると思ったので、諦めてタクシーを降りた。Atmaさんと一緒に歩いて経済産業省まで雨の中歩いた。Atmaさんは場所を忘れてたようで、ちょっと回り道をしてついた。着いてみるとGokalさんは席をはずしていた。しかし20分くらいしたら事務所に戻ってきたので、私たちの話を聞いて、質問に答えてくれた。会社の設立について以前ローカルレストランで会った日本人が不可能と言っていたことについて確認をした。答えは可能。外国人一人の投資会社は作ることができる。私はしっかりした確信を持つことができた。その後お昼を食べてAtmaさんとは分かれた。私はそのあと日本大使館に行くことにした。今まで行くきっかけがなかったのだが、今回Gopalさんに進められて行くことにした。大使館にはタクシーで行った。しかしなかなか受付に入ることができず、入り口にある管理人などがいる部屋で待った。雨が降って寒いのにドアを開けっ放しだったので、気温は上がらない。そこにいる何人かのネパール人とつたないネパール語で話していた。30分以上待った後で私は樋口さんという大使館の職員に会った。そしてネパールでの民宿計画についてのアドバイスがないか伺った。大使館としてはそういったことのマニュアルはないとのことだった。しかしネパールの現状など彼の知っていることを話してくれた。一時間近く話しているとMotohiroさんのお店「こてつ」の話になった。さらにこてつの店長と昨日カジノに行った話まで発展した。民宿計画については「ゆっくりと時間をかけ、来年6月頃にある選挙結果によって政治がどうなるか、法律がどうかわるかを見てから動いた方がいい」と言うアドバイスをもらって大使館を出た。その後歩いて5分くらいのところにあるこてつに行ってみたが、Motohiroさんはいなかったのでスーパーに寄ってから帰ることにした。BlueBirdというスーパーでジュースとお菓子を買って、ホテルまで歩いた。雨も止んで、日が射してきた。天気と同じように晴れたような気分でホテルについた。それから昨日会えなかったサンジャイさんのお兄さんと一緒に食事をする為にレストランに行った。お兄さんはとってもおもしろい感じの人だった。少し遅れてお兄さんのお友達の日本人もやってきて楽しく食事をすることができた。

投稿者 satoka : 12:11 | コメント (0)

2006年12月10日

my nepali life diary 2006 vol.63

12/10
午前中に郵便局に行った。筋田さん宛の荷物がデンマークから届いているそうだ。いらなくなったおもちゃをネパールの子供に支援をしたいという人から贈られたものだそうだ。タクシーで筋田さんとサンジャイさんとサンジャイさんのやっているセントラルカフェに行った。そこでコーヒーを飲んでから歩いて中央郵便局に行った。お知らせ状を提出し、身分証明書を出しサンジャイさんが手続きをしてくれた。その間筋田さんと待っていた。荷物のチェックをして更にもう一度税金の支払いなどの手続きがあった。始め受け取りには随分と時間がかかると聞いていたので、覚悟はしていたのだが思った以上に早く手続きが済んだようだ。その理由はサンジャイさんが荷物の用途を「クリスマスプレゼント」と申請したからだそうだ。無駄に時間を潰す必要もなく、たくさんのおもちゃを受け取りホテルに戻った。ミニカーや木の動物、学習パズルに電車などのおもちゃがたくさんダンボールに詰められていた。子供の頃を思い出すようなかわいいものがたくさんあった。三人で何が入っているか確かめ明後日そのうちいくつかをラムチェ村に持っていくことにした。筋田さんが行く予定なのだが、私も一緒に行かないかと誘ってくれた。私はこれから銀杏グループとして、もし仕事をしていくならば必ず行くことになると思うし、そうでなくとも村を訪れてみるのもいい経験なので一緒に行くことにした。お昼の時間になったので日本食レストラン「ふる里」に行きおろしそばを食べた。ぼろぼろと崩れてしまうようなそばだったが、だしの味はおいしかった。それから午後はラムチェ村行きの為の準備などをした。他にはサンジャイさんがスタッフにネパール料理を作っているところを見学したり、メールのチェックをしたり、何だかんだしているうちに夜になった。夜は筋田さんとサンジャイさんと彼の奥さんの妹と4人で、サンジャイさんのお兄さんのやっているレストランに行った。本当はお兄さんも来るはずだったのだが、都合が合わなくなって今日は会うことはできなかった。でもみんなで楽しく食事ができたのでよかった。ホテルに戻りDVDを見てから眠りについた。

投稿者 satoka : 23:59 | コメント (0)

2006年12月09日

my nepali life diary 2006 vol.62

12/9
朝6時半に起き、7時に朝食をとった。トーストとゆで卵とコーヒー。シンプルだが十分だった。岩塩をパウダー上にした塩が特においしかった。朝食後筋田さんが9時にツェリンという女の子と会う約束があり、私も一緒に連れて行ってくれた。以前筋田さんは彼女を雇っていたそうなのだが、現在はリゾートを作り、家が変わったこともあり仕事はしてもらっていない。ホテルから歩いて2、30分で昨日筋田さんと会ったカフェについた。エスプレッソとレモンティを飲みながらツェリンが来るのを待った。そこでも筋田さんといろんな話をすることができた。私はこのとき自分が本当にしたかったこと、最初のころの思いを思い出すことができた。私は人が喜んで笑顔になってくれるところ、また来たいなと思ってくれるところ、そういう場所を作りたかったのだ。そして仕事のない人に仕事を与えることができ、人の為に何かをし、一人でも多くの人の心に残ることをしていきたい。一人でもたくさんのいい人たちに出会っていくためにも空間を作りたい。そういう思いがあったことを私は最近忘れていた。こういった思いがあることで私はやる気を持つことができ、前に向かって進むことができたはずだ。忘れていたことに反省をすると共に、それを思い出させてくれた筋田さんに感謝である。30分、一時間待ってもツェリンは来なかったので、パズルリングを探しに行くことにした。筋田さんのつけているパズルリングがどうしても欲しいと昨日言っていたので、筋田さんが買いに行こうと言ってくれた。しかし3、4軒周ったが見つからなかった。そこでとりあえずツェリンの家に行くことにした。彼女の家は8畳くらいの一部屋に4人家族で住んでいる。共同キッチンとトイレの一般的なネパール人のアパートだ。着いてみるとまだ彼女は掃除中だった。おそらく筋田さんがお昼にモモを食べに行くと言っていたので彼女はカフェに来なかったのだろう。掃除が終わるのを待ってから部屋に入った。お茶を出してもらい彼女と話したり筋田さんと二人で話しながら2時間くらいモモができるまでそこにいた。筋田さんは私がゆっくり調査ができるようにどうしたらいいか、今何をやらなければならないのかなど、具体的にアドバイスをしてくれた。そんな話をしていたので時間が余ることはなかった。ツェリンのお母さんがモモを作ってくれている間、ツェリンも私たちに薄焼き卵を作ってくれた。塩を混ぜて作ってあるものでなかなかおいしかった。一時過ぎ頃になりモモが出来た。野菜モモとチキンモモとスープ。どれもすごくおいしかった。筋田さん特別スープとしてしょうゆとお酢のたれで食べるのもよかった。二人ともスープをおかわりし、満腹になるまで食べた。その後少し彼女がこれから仕事をどうやってみつけるかという話をした。彼女はサンジャイさんに仕事をもらいたいようなのだが、自分からは連絡しようとしなかった。それはよくないから自分から動かなければならないということを話して何とか納得してくれた。それから筋田さんと私はタメルに向かった。途中縫製屋さんがあったので、私のジャケットが破けてしまっていたのを直してもらった。特別上手いわけではなかったが10Rpで見た目に問題ないほどに仕上げてくれた。歩きだすとサンジャイさんから筋田さんに電話が入った。そこでサンジャイさんのやっているカフェに行くことにした。途中パズルリングがないか探しながら歩いた。何軒か回った後、小さなアクセサリー屋さんでやっと見つけることができた。喜んで買いサンジャイさんのお店まで歩いた。そこでラッシーを飲みながら少し話をして、ホテルに戻った。ホテルではメールのチェックや日記を書いていた。去年からの友達でイスラエル人のお坊さんEladと夕方会う約束だったのだが、彼の都合で延期することになった。その為夕食は今日も3人で一緒に食べることにした。今日は筋田さんがポトフを作ってくれた。とってもおいしくてあったかいポトフを食べた。サンジャイさんはその後仕事があったので出かけたが、私たちは昨日の続きのハリーポッターを見ることにした。終わって筋田さんが「小腹が減った」と言い、インスタントラーメンを作ることにした。鍋にお湯を沸かして作っているとサンジャイさんが帰ってきた。そこでビールを飲みながら3人で11時ごろまでおしゃべりをしていた。とっても良くしてくれる筋田さんとサンジャイさんに感謝をして眠ることにした。

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2006年12月08日

my nepali life diary 2006 vol.61

12/8
朝シャワーを浴び、すっきりしてから朝食を取りにタメルの方に歩いた。そこでびっくりする出会いがあった。以前経済産業省に行ったときにGopalさんから教えてもらっていた「ICHO RYOKAN」の筋田さんが隣の席に座っていた。始めは挨拶だけだったのだが「トレッキングに行ってきたのですか」と聞かれ、私が民宿計画のことを話すと、彼もリゾートをやっていることを教えてくれた。それから席を移り話をした。筋田さんはラムチェという村のボランティアをしているそうだ。そしてパートナーのサンジャイさんと一緒にリゾートと旅行会社をやっていると言っていた。その旅館に泊まるソーシャルワーカーには無料で宿を提供しており、多くのボランティアをやっている人たちの交流の場になることを目指している。ソーシャルワーカー達のサポートだ。そして彼は私に引越しを進めた。私はもっと話を聞きたかったので、有り難く受け入れることにした。お昼頃になったので、日本食レストラン桃太郎に行った。そこで筋田さんお勧めの冷奴と挽き肉となすの味噌炒めを注文した。白いご飯になす味噌炒めをかけて食べるととてもおいしかった。それからホテルに戻り荷造りをした。Kiranに「また来るね」と言ってタクシーに乗った。銀杏旅館はタメルからタクシーで10分くらいのところにある住宅街だ。静かだし、建物の前は空き地になっているので、見渡しのいいところだ。部屋に案内してもらい荷物を広げたままで、お茶をした。そしてパートナーのサンジャイさんを紹介してもらった。ホテルの決まりや使い方、自転車などを説明してもらいながらいろんな話をしてくれた。メールのチェックもでき、洗濯もしてくれて、ベッドも大きくとても快適なところである。夕食には筋田さんがオムライスを作ってくれた。サンジャイさんはお腹が減っていないということで私と筋田さんだけが食べた。とってもおいしいオムライスだった。ネパールで食べられると思ってなかったので嬉しかった。食後サンジャイさんと三人でビールを飲みながら楽しい時間を過ごせた。その後DVDでハリーポッターを見てから寝ることにした。今日始めてみたハリーポッターはとてもおもしろかった。流行っていた理由が納得できた。今日は素晴らしくいい一日だった。筋田さんのお陰で自分が見失っていたことを少しだけ思い出すことができた。そして何よりも民宿計画に対して絶望的だった気持ちが光を見出した。可能性を感じることができた。筋田さんはあと一週間で日本へ一度帰るのだが、それまでにいろんなことを学ぼうと思った。

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2006年12月07日

my nepali life diary 2006 vol.60

12/7
起きてシャワーを浴びていると勇治から「朝ご飯を食べに行こう」と電話があった。共通の友達のやっているインターネットカフェで待ち合わせをした。そこで勇治がメールを書いていたので私は携帯電話のプリペードカードを買いに行った。以前リチャージをしたのでやり方を覚えてると自信満々だったのだが、いくらやっても上手くいかない。仕方なくお店の人にお願いをしてリチャージをしてもらった。それから戻って勇治と朝ご飯を食べに行こうと思ったのだが、時間が時間でもう少ししたらダルバートの時間だったので、勇治の買い物に付き合うことにした。勇治がチベットのお店の入り口やチベット人の家の部屋にかけられている布を買いたいと言うことで探しに街を歩いた。何軒か見て周っているうちに売っているお店を見つけた。そこで値段を聞いてい見ると700Rpと言う。勇治はそれで500Rpとディスカウントをしたのだが、私はどうみても200Rpか300Rpだと思ったのでその店を出ようとした。すると店の人が「待ってくれ、いくらだったらいいのか」と聞くので「300Rp」と言った。そんなの無理だと言って彼は売るのを諦めた。そしてもう一軒別の店で値段を聞いてみた。すると450Rpだと言う。そこで「200Rpに出来ないか」と聞くと「無理だ」と答えた。さっきと同じように他の店に行こうとすると「ラストプライスはいくらだ」と聞いた。私が「300Rp」と言うと、彼は「オッケー」と言った。そして前の店で700Rpと言われたものと同じものを300Rpで買うことが出来た。ネパールでの買い物は最初の言い値で買ってはいけない。外国人だと分かると彼らは大きく吹っかけてくるからだ。なので、まずは2割くらいからディスカウントし、上手くいかなければ店を買えると言おう。そうすればだいたい半額またはそれ以下で買うことができるであろう。その後も買い物を続けたが結局買ったものは布一枚だけだった。お腹も減ってきたことだし、ダルバートを食べに行くことにした。RajとIndraも来て4人で勇治の最後のダルバートを一緒に食べた。12時に勇治をタクシーまで見送った。それから私はボートハウス(ラフティングの道具などを管理している事務所)にカマルに会いに行くことにした。ちょうどIndraも行くとこだったので案内してくれた。何故私がカマルに会いに行きたかったかは、彼がカヤックで事故を起こして歯が二本かけたと聞いていたからだ。ボートハウスのすぐ近くのお店にカマルはいた。鼻から額にかけてばんそうこうが貼られていた。全部で6ヶ所縫ったと言っていた。気の弱った感じのしゃべり方だったが、大分回復してきているようで少しだけ安心した。私がラフティングに行ったときのセイフティカヤックだったので、これからカヤックが怖くなってしまったのではないかと不安だった。しかし彼は「怪我が治ったらまたカヤックをやりたい」と言っていた。食事も不便ではあるがなんとか食べられているようだし、あと一週間くらいで治ると言っていたので私はほっと胸を撫で下ろすことができた。ネパールには自然が多くあり、95%の人が山岳民族である。ここで生きていく為には上手く自然と付き合っていかなくてはならない。仕事であるラフティングガイドもカヤックもトレッキングも常に危険と隣合わせなのだ。そのことを改めて感じさせられた。カマルと話したあとボートハウスにいる他の友達と少ししゃべってからタメルに戻った。そして今度はUttamさんに会いに行った。しばらく行ってなかったので「久しぶりだね」と言われた。チャイを出してもらい私の帰国の日程を話した。Uttamさんはとっても優しい雰囲気を持った人なので少しでも話をすると優しい気持ちになれる。帰国前にまた来ることを約束してお店を出た。それから以前Manoharさんと一緒に行ったマスの養殖屋さんの写真をプリントしに行った。そこのお店の人とは顔見知りだったので、逆にテキパキと対応してくれなかった。急ぎの別のプリントがあるようで私の要求をなかなか聞いてくれなかった。「後ちょっと、後ちょっと」と言いながら、その作業を進めていた。それが終わって私がメモリースティックからプリントしたい写真を選ぶと別のお客さんがやってきた。後は私に予約表を書いてくれれば終わりだったのだが、それをさておき別のお客さんの対応をした。私が帰ろうとすると「チャイを頼んだから」と言ってその場にいることになった。別のお客さんのプリントが終わり、やっと私の予約表を書いてくれた。その後チャイを飲んで店を出ることにした。ホテルに帰る途中、何で彼はあんなに私をあの場に引きとめたのだろうと不思議に思った。きっとただ話し相手が欲しかったのだろう。そして日本人の女の子だからとなめられていたのかもしれない。まぁ、珍しいことではないのでたいして気にもしなかった。部屋からパソコンを持ってインターネットカフェに行った。始めの10分くらいで突然停電になった。仕方がないのでしばらく本を読んで待つことにした。しかしなかなか普及しないのでスタッフの子と話をしていた。彼曰く、毎週木曜日は7時半まで停電になるそうだ。なので、私はポテトチップスを買ってきて彼としばらくしゃべっていた。ほぼ毎日顔を合わせていたのだがゆっくり話したことはなかったので、楽しかった。お兄さんが韓国で働いているから彼もいつかは韓国で仕事がしたいと言っていた。約2時間程私は停電の中過ごした。停電も珍しいことではない。今の時期は暖房を使い始めたせいなのか停電は毎日のようにある。それにいちいち苛々していたらここで住むことはできないであろう。いろんなことがゆっくり進むこの国で焦って何かをやることは精神的に良くないことなのだ。結局どんなに怒ってもできないものはできないのだから。そこにどう上手く自分をかみ合わせていくかを覚えていかなくてはならない。電気が戻りメールのチェックを終えホテルに戻った。軽く夕食を食べに出たが、今日は早めにホテルに戻ってきた。今日は一日何にも特別なことをしなかった。最近私は低調気味だったので特に何もしない日を悪いと思わないようにした。責任感が強くプレッシャーを感じてなかなか気を抜いて過ごすことができないので、さらに調子は悪くなるばかりだった。それを分かりつつ、リフレッシュできない自分を認めざる終えなかった。

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2006年12月06日

my nepali life diary 2006 vol.59

12/6
朝8時にお寺で待ち合わせをしてキルティプルに行くことになっていたのだが、起きたのが10分前だった。急いで着替えてそのまま出た。5分遅れでお寺に着いたのだが、何だか様子がおかしい。一緒にいく予定の人が見当たらず、お坊さんが仏像にお経を唱えたりしていた。私はまずお祈りをしてから彼を探してみた。すると奥の方から現れた。「お茶を飲みますか」と聞かれたので「はい」と言った。しばらく待っているとお茶を持って来た。少し甘すぎのチャイを飲みながら、これからどうするかという話をした。私は今日までキルティプルでお祭りがあると聞いていたので来たのだ。しかし彼は「カレンダーの見間違えで昨日お祭りは終わってしまった」と言った。それでも「キルティプルはいいところだから一緒に行こう」と言った。「では今から行きましょう」と言ったのだが、そうは行かず「10時に行く」と言った。「向こうには食事をするところがないので朝食を済ませてきてください」と言われた。なぜなら彼の奥さんが10時に食事をするのでそれまではここを離れられないということだった。私は仕方がないので昨日Kamarさんが紹介してくれた日本食レストランに行き、和食を食べた。納豆、とろろ、おろし大根、生卵、お漬物、味噌汁とご飯のセットだったのだが、サービスで違う種類のお漬物とほうれん草のおひたしを出してくれた。ネパールで納豆を食べたのは初めてだった。日本と比べたらおいしいとは言えないが、納得できる味だった。朝から日本食を食べられて満足した。その後ホテルに一度戻り10時前にお寺に向かった。そこで待っていたのはびっくりするくらい理不尽なことだった。彼はこれから奥さんが食事を食べるから待っていてくれと言った。私は30分くらい待った。しかしその後のことがはっきりしないので、もう一度尋ねた。すると「1時に出発する」と言った。「バイクで行くからそれまで待っていてくれ」と言った。私はそんなに待てないので「一人でバスで行く」と言った。すると「11時に行くから待ってくれ」と言いなおした。しかしバスで行くと言うのだ。そうなってくるといったい何の為に彼と行く必要があるのだろうかと疑問に思えてきた。そこで私は彼と行くことをきっぱりとやめた。きっと一緒に行ったところで私が楽しめないと思った。ここまででも2時間半振り回されたのだからいい加減にしてくれという気持ちになっていた。そして私は彼に「もう一緒に行くのをやめました」と断ってその場を離れた。私は少し怒った気持ちを抑えようとカフェでコーヒーを飲むことにした。ゆっくりコーヒーを飲みながら平常心を取り戻そうとした。30分くらい経って、大分落ち着いてきた頃にSanghaから電話がありお昼を一緒に食べることになった。SanghaはTriprisworで空手の練習を終えたばかりだった。トゥクパとモモを食べながら、午前中の話をした。「すると仕方がないね」と言ってSanghaはバイクでキルティプルに連れて行ってくれると言った。今日は天気が良かったのでバイクに乗っているのが気持ちよかった。キルティプルに向かう途中学生によるストライキが交差点で行われていた。道路は通行止めにされてしまい、多くの車が列をなしていた。バイクは歩道を抜けていくことができたので、引き返さずにすんだ。キルティプルまでは2,30分で着いた。そこからはヒマラヤ山脈が見えた。少し雲がかかっていたが、きれいに見渡すことができた。ネワール建築のお寺を二つ見た後、Sanghaの親戚の叔母さんの家に行くことになった。叔母さんの家ではまず、手作りのロキシーを作っているところを見せてもらった。ネパールの各家庭ではロキシー(お酒)を作っているのが普通なのだ。その後部屋に上がりチュラ(お米を揚げて潰したもの)とヨーグルトを頂いた。お昼ご飯を食べたばかりだったのだが、食べないわけにはいかなかった。そしてロキシーも出してくれた。アルコール度数が強く、味見をしただけでそのまま飲むことができなかった。やっとチュラを食べ終えたときにチャイを叔父さんが持ってきてくれた。そして卵焼きも一緒に出してくれた。私はもう限界だと思ったのだが、お客さんが来たときのもてなしの仕方(卵、魚、ヨーグルト、ロキシーを出すこと)であり、今後上手くいきますようにというお祈りの意味もあると聞いたので、頑張って食べた。全て食べ終わりお礼を言ってから家を出た。Sanshaはネパールで俳優の仕事をしているのだが、映画のアクションシーンを撮る場所が近くにあるので連れて行ってくれると言った。そこはChobarというところで崖だけのいかにもアクションシーンって感じのするところだった。しかし撮影以外に学生やカップルがやってきてはしばらくそこで座って話をしたりしているそうだ。ここから少し行ったところにカトマンドゥの神話に出て来る場所があると言って、Sanghaは連れて行ってくれた。カトマンドゥ盆地は大昔湖だったそうだ。そしてとてもいい土地なので水さえなければたくさんの人々が住むことができると言われていた。それを聞いたManj Shreeという神がChobarの小さな山を切り水が外に流れていくようにしたそうだ。そこにかかっていた橋はすごく華奢なもので渡るのが物凄く怖かった。そのような神話をもとにそこを見ていると何だか不思議な感じになってきた。もしかしたらそんなことが本当にあったのかもしれないな、と思うようになった。それから3時にSanghaの音声ダビングの仕事があったので、タメルの方に戻つことにした。録音スタジオに着いたのだが、映画の監督がまだ来てなく私たちは編集室の近くでチャイを飲むことにした。それでもまだ来なかったので、日本に帰ってしまったPalに頼まれていた雑誌を買いに行った。どの雑誌がいいのか私には分からなかったので、Sanghaが選んでくれた。スタジオに戻り、私はここでSanghaと分かれるつもりだったのだが、Sanghaは私に仕事を見ていって欲しいようだった。私は断りきれず、音声の編集作業を見学することになった。監督が戻って来て仕事が始まった。はじめての現場だったので、少し楽しみだった。上手く収録できるときもあればいくらやっても失敗してしまうところもあった。結構丁寧に時間をかけて作っていることに驚きも覚えた。しかし5時に待ち合わせがあったので最後まで見ることができず、タメルに戻ることになった。明日バンコクに行く勇治と待ち合わせをしてDanの家に行くことになっていたのだ。少し遅刻して勇治に会い、15分くらい歩いてDanとの待ち合わせ場所に行った。編集室からずっと歩いていたので体はぽかぽかしていた。Danに会い、家に案内してもらった。Danの奥さんがダルバートを作ってくれている間、ビールを飲みながらおしゃべりをしていた。7時ごろにダルバートができてみんなで食べた。たくさん食べ過ぎてしまうくらいおいしかった。彼女はずっと日本に住んでいるのだが、その腕は劣ることなかったようだ。みんなで楽しむことができた。帰りはDanが私と勇治をバイクでタメルまで送ってくれた。もちろん三人乗り。無事タメルに着きDanは家に帰った。勇治と私は友達の飲んでいるお店に顔を出した。しかし私は眠くなってきたので早めに帰ることにした。明日はMackyもネパールを出てしまうので少し淋しくなるなと思った。日本にいればたくさんの友達がいるのだが、ネパールにいる間にはほんの限られた友達しかいないので、すぐに会えなくなってしまうのは寂しいことだ。また次に会えるのを楽しみに明日からも頑張ろうと思いながら寝ることにした。

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2006年12月05日

my nepali life diary 2006 vol.58

12/5
今日は11時ごろからLakuriBhanjyangというところにNirとSushilくんと彼らの学校の先生と生徒と行くことになっていた。そしてどこで待ち合わせかは電話が来ることになっていたのでメールをチェックしがてらNirのお店に行くことにした。すると入り口にSushilくんが立っていた。彼に会うのは久しぶりだったので、最近何をしていたかをお互い話した。そのうちNirもやってきた。Nirの家でみんな集合して車で行くことになっていたそうだ。先にNirのバイクでSushilくんが家に行き、Sushilくんがもう一度戻って来て私をピックアップしてくれることになった。メールをチェックしていたのだがネットワークの調子が悪く使えなくなってしまったので、ちょうど良かった。Nirの家に行くとNirが私に上着を貸してくれた。私の上着が汚いのを見かねて変わりのものを私に貸して、今着ているものを洗ってくれると言った。いくら断っても無駄なのでお願いすることにした。そしてロティとスクランブルエッグとチャイで朝ご飯を食べた。11時過ぎに全員集まり出発することになった。一緒に行くあとの二人はRinaという日本語学校の先生と、Juliという生徒だ。Juliはまだ日本語があまり話せない。その為車の中では4人がネワール族の為、日本語、ネパール語、ネワール語が話された。もちろん私は日本語以外全くわからなかったが。途中パタンで水とお菓子を買っていった。LukariBhajyangに行くには舗装されてないかなりでこぼこしたがたがた道を進んでいかなくてはならない。誰かが窓に頭をぶつけたり、大きく体を揺らしながら進んだ。体が少し疲れた頃目的地に着いた。そこは宿泊施設になっているところで、レストランがあった。そこから見える景色は素晴らしかった。雲が少しかかっていたのが残念だが、ヒマラヤ山脈がパノラマに広がっていた。私たちは紅茶を飲みながらお菓子をつまんだ。各々景色を見て楽しんだり、おしゃべりをしていた。少ししてからフライドライスをみんなで分けながら食べた。遠足のような感じで楽しかった。でも私が一人になりたくて少し離れた場所にいると、NirとSushilくんがネパール語でばかり話してるから私が怒っていると思って心配しにきた。私はそんなことには慣れているし、全く気にしていなかったのでびっくりした。きちんと説明してやっとわかってくれたが、まだ少し気にしているようだった。夕方になる前に帰ることにした。私は車の揺れによって眠気が襲ってきた。うとうとして眠ってしまったようだ。Sushilくんが家に帰る為に、バス停の側で車を降りるとき気づいた。その後Juliもパタンで下り、NirとLinaの3人になった。帰りにこの辺で一番おいしいモモがあると言って連れて行ってくれた。彼らの学校の近くにあるモモ屋さんだった。モモにスープ(のようなタレ)をかけて食べるネパール式モモで、とてもおいしかった。レストランなどにあるモモはチベット式なのでタレにつけて食べるものである。私はこのスープで食べるモモが好きだったので嬉しかった。それから私はタメルで車を降りた。ホテルに戻りさっき出来なかったメールチェックをしにいった。今回はネットワークがきちんとつながり、30分くらいで全部が終わった。嬉しいことにAtmaさんからのメールで外国人の100%投資の会社が作れるという情報が得られた。よかったと胸を撫で下ろすことができた。それから7時にPaluが紹介してくれたKamarさんに会う約束だったので、少し早かったが待ち合わせ場所に向かった。そこは日本人のやっているパスタ屋さんであり、Kamarさんのアパートに住んでいるということで話をして待つことにした。すると少し前にKamarさんが来たなのだが、私がいなかったから戻ってしまったことを教えてくれた。10分くらいすると彼が現れた。早速Kumarさんのやっているアパートを見せてもらいに行った。場所はタメルにあり、静かではないが便利なところにあった。しかも一月3500Rp〜4000Rpという安さだった。日本人を中心に貸していると言っていた。ネパール人だと扱いが汚いので消耗が早いが、日本人は扱いがいいということで安く提供してくれているようだ。そこで部屋を見せてもらいながら、どのように管理しているのかなどを聞いた。アパートを見せてもらった後、Kamarさんの友達のやっている日本食レストランを紹介してくれた。そこのオーナーはネパール人なのだが日本語が流暢だった。しかし日本には行ったことがないと言っていた。ここのレストランにKamarさんのアパートの広告が貼ってあった。友達の日本人のおばさんが作ってくれたという手書きの分かりやすい広告だった。Kamarさんとはまた近いうちにインテリアの仕事をしている親戚を紹介してくれるということで分かれた。その後友達と軽く食事をして帰ってきた。

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2006年12月04日

my nepali life diary 2006 vol.57

12/4
10時にJayのお店に行く約束をしていたので、それまでにメールのチェックをしておいた。Nirのインターネットカフェに行って、スタッフの人に「寒いですね」と言っていたらチャイを頼んでくれた。朝一の温かいチャイは体が温まって有り難い。10時になりJayのお店に行くと「11時くらいにお兄さんがバイクを持ってくるのでそれから出かけよう」と言った。しかし11時まで待っても来ないので先にビーマンバングラデシュエアラインオフィスに歩いて行くことにした。帰国のチケットをフィックスしなくてはいけなかったので新しいチケットを取りに行った。すると「ここでは発行できないので代替のタイエアラインのオフィスに行ってくれ」と言われた。言われた通りタイエアラインに行くと「ビーマンのチケットが正しくないので、このチケットではチェックインできない。ビーマンバングラデシュのオフィスで正規の手続きをしてきてください。」と言われた。そしてもう一度ビーマンに戻らなくてはならなくなった。このいい加減さに少し腹が立った。歩いていくのが嫌になって、タクシーで行くことにした。ビーマンに戻り新しいチケットを発行してくれと頼むと「2時半にならないとできない」と言われた。そこで何を言っても無駄なので、仕方なしにボダナートに先に行くことにした。タクシーでボダナートに着き、とりあえず苛立った気持ちを落ち着ける為にお昼ご飯を食べることにした。モカコーヒーとオープンサンドイッチを頼んだ。外国人向けのレストランだったのでさっぱりとしたものを食べることができた。おいしいものは心にも優しい。気持ちもリセットでき、チベットのアンティーク古布を写真に撮りに行った。以前Mackyに教えてもらったお店だ。お店の人は私のことを覚えてくれていろいろといい布を見せてくれた。10枚以上の布を写真に撮り、価格を聞いてメモを取った。10年くらい前のものから80年以上前のものまである。草木染めで作られた布はやはりいい味を持っていた。そのまま額に入れても絵になるものだった。しかし若干価格は高かった。一枚辺り1万円するもある。最後にチャイを頂き、サンプルを買ってからビーマンのオフィスに戻った。そこで新しいチケットを発行してもらった。でも発行と言っても手書きで書き直しただけだ。それを持ってタイエアラインのオフィスに行った。やっと「これならオッケーと」言われ、何とか帰国のチケットを獲得することができた。一段落してすっきりした後で、Jayの家に連れて行ってもらった。今日はネワール族の収穫が終りを祈るお祝い日だったのだ。Gojamariという食べ物がそのお祝いの特徴だ。Gojamariとはお米の粉でほら貝のような形に作られた生地の中に、苦甘い味のするペーストが内側に塗られている。味はあまりおいしいとは言えなかったが、ネパールの文化の一つに触れ合えたのは良かった。それから家を出て、Jayのお姉さんのお店に寄ってから帰ることにした。タメルに戻る途中に般若心境の古いお経が秘蔵されているお寺の前を通った。ここには何度か訪れていたので、Jayとは分かれ中を覗いてみることにした。すると今日はちょうど84歳のお祝いの儀式をやっているということだった。そこでいつもは扉の閉まっている仏像を拝むことができた。ビジネスが上手く願いを叶えてくれる仏像だったので、今の私には大切な時間だった。そのお寺に住み、管理をしているおじさんがいろいろ説明してくれ、来週にまたお祭りがあるということを教えてくれた。そして明後日にもキルティプルでお祭りがあるので時間があれば連れて行ってくれると言った。私は他に予定がなかったら行ってみようと思った。お寺を出てMotohiroさんとの待ち合わせ場所に行った。Motohiroさんは日本にいるときからいろいろネパールについて教えてもらっていて、お世話になっている人の一人だ。久しぶりに会ったのだが、相変わらず元気で一緒にいて楽になれる人だ。まずは日本食屋さんに行ってご飯を食べた。焼き鳥、砂肝、さばの塩焼き、サラダとお味噌汁を食べた。最後に巻き寿司を食べた。巻きが緩くすぐに崩れてしまったが、味はおいしかった。ここの料理はどれもおいしかった。それからMotohiroさんは友達のバーに連れて行ってくれた。そこは少し奥まったところのホテルの一角だった。とても静かで、ここがネパールであると思わせないところだった。そこのホテルのオーナーの息子がやっているバーだった。私は今までの調査によって今後の見通しが良くないことを話したのだが、彼は「それが分かったのはいいことだ」と言ってくれた。まだこれからのことは決められないが調査に基づいて少しずつ考えていこうと思う。

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2006年12月03日

my nepali life diary 2006 vol.56

12/3
朝起きて顔を洗うとすっきりとしたいい気持ちだった。昨晩は程よくお酒を飲め、夜中に一度目は覚めたもののぐっすりと眠れたようだ。Manoharさんも起きていて、フルーツの木や畑を案内してもらった。パパイヤ、マンゴー、イチゴ、モモ。みかんなどたくさんの木があった。ここは中国との国境へ行く道である為に、将来的にフルーツの商売をしようと考えているようだ。さらに今後は鶏だけでなくヤギも飼おうとしていると言っていた。案内をしてもらった後、チャイを飲んだ。ひんやりした空気の中での温かいチャイは最高だった。そして荷物をまとめ車に乗り込んだ。途中昨日マスを買ったところに寄った。赤ちゃんを抱っこしようとしたら、何と今日は嫌がらなかった。昨日の今日だったので、覚えていてくれたのかもしれない。私は嬉しくなってしばらく抱っこしていた。Manoharさんがここの養殖所について説明してくれると言ったので赤ちゃんをお父さんに預けて、私たちは池の周りを歩いた。途中でチャイを飲みながら聞いた。まだ作って4年しか経っていないと言っていた。これから少しずつ規模を拡大したり広告を出したりしていくそうだ。ここの経営者はモンゴリアンの旦那さんとブラフマンの奥さんで、ネパールでは珍しくカーストの違う人同士の結婚だったそうだ。その為問題も多く、Manoharさんと旦那さんは仲がよい友達であることもあり、Manoharさんがいろいろとビジネスのサポートをしているそうだ。最後にそこの家族写真を撮ってから車に乗った。次に寄ったのはJaitiという日本のNGOが作った小学校だ。学校の他にかなり広い土地が畑になっていた。Jaitiの職員はいなかったので、その場所だけを見て帰ることにした。道の途中で私はヒマラヤの写真を撮りたいと言って、止まってもらった。昨日の夕方とは違った真っ白な山々はやはり素敵だった。帰り道の風景を車の窓から見ながら、タメルまで戻った。私はタメルで車を降り、Manoharさんは家に帰っていった。私はそのままローカルのダルバートレストランに行った。すると友達のBhupenがいた。隣の席に座って一緒に食べることにした。テレビではマオイストと政府との昔争っていたときの映像が流れていた。お店の人もお客さんもみんなが見ていた。おそらくビデオだったのだろう。途中で画像が止まってしまった。その映像はまさに戦争だった。武装した兵隊が駆け回りながら銃を打っていた。今私がいるカトマンドゥの近くで起こっていたことだそうだ。やっとマオイストと政府が平和協定を結んだネパールにネパール人はどのような期待をしているのだろうか。それとも期待などしていないのだろうか。それは人それぞれの意見があるだろうが、平和を望まない人はいないだろう。これからのネパールがおそらく物凄くゆっくりではあるだろうが、着実に良くなっていくことを望む。ダルバートを食べ終わった頃にBhupenのお父さん,お母さんのような人が入ってきた。彼らはタイから来ているそうだ。日本ゲストハウスに滞在しているということで、少し親密感を覚えた。元気一杯のおじちゃんという感じでいい雰囲気を持った人だった。それから私はホテルに戻り、シャワーを浴びた。すると従業員のおばちゃんが掃除をしに部屋に入ってきた。私がいないと思いごみを捨て、カチャッとシャワー室の扉を開けようとした。私は急いで「シャワーを浴びている最中です」と言った。そして彼女は扉を閉めてくれた。私はおばちゃんが一旦外に出ていてくれるものとおもっていたのだが、シャワーを浴び終え着替えようと思い扉を開けるとおばちゃんはそこにいた。なんと言っていいか分からずとりあえず「大丈夫ですか」と聞き、洋服を着た。おばちゃんは私のことなんて気にもせず掃除機をかけシャワー室を掃除して部屋を出て行った。そんなに気にはならなかったけど、びっくりした。その後インターネットをしてからPaluに電話をした。今日の午後会うことになっていたのだが、昨日の夜のうちに旦那さんの家に帰ってしまったということで会えなくなった。そのかわり紹介してもらうはずだった人の電話番号を教えてもらった。私が一度話を聞きたいと思っていたのはKamarさんというタメルにアパートのようなゲストハウスを月単位でやっていると人である。Paluと電話を切った後、Kamarさんに電話をかけ近々会えるようにとお願いした。その後部屋で仕事をしていると、勇治が本を借りに来たので、紅茶を飲んで少し話をした。夕方Danという日本に住んでいるネパール人が今ネパールに帰ってきているから一緒に夕食を食べようという約束をして、勇治は帰っていった。今年の3月に北海道のニセコにスノボに行ったときに会った人だったのだが、実はあまり記憶が薄かった。しかし多分あの人だろうという想像だけはできた。5時前にホテルを出て銀行で両替をしてからUltimate Descentのオフィスに行った。そこでおしゃべりをしていると勇治が来て、ラジンパットにDanがいるから行こうということになった。タクシーで行こうと思ったのだがなかなか捕まらず、結局10分くらいの距離だったので歩いて行った。そこでDanに会った。ほっと一安心した、私はDanの顔をちゃんと覚えていた。そこでしばらく話をしてから夕食を食べにインド料理屋さんに行った。Danは今四国でラフティングガイドの仕事をしているのだが、別の会社の社長にDanの能力を見込まれ、ネパールからいいラフティングガイドを10人連れて行くという仕事で来ていた。私たちは最近Danが土地を買ったという話や、日本での生活の大変なことなどを話した。Danはおもしろい人で「またみんなで会おう」と言ってお開きにした。私はその後Mackyがルンビニから帰ってきたということで待ち合わせをした。そしてトンバを飲みにローカルレストランに入った。トンバとは醸造酒であり、発酵させたキビを竹筒に入れそこにお湯を注ぎながらストローで飲む。お湯が減ったらまた足してと何度も繰り返して飲んでいく。今回のネパール滞在では始めて飲んだのだが、久しぶりでとてもおいしかった。Mackyと最近の私が何をしていたかを話し、ルンビニでの話を聞きトンバを飲んだ。Mackyに会ったのも久しぶりで楽しい時間を過ごすことが出来た。帰りは寒い中ホテルまで送ってくれた。もうすぐバンコクに行ってしまうので、次に会えるのは随分先になるかもしれない。

投稿者 satoka : 13:45 | コメント (0)

2006年12月02日

my nepali life diary 2006 vol.55

12/2
今日は12時に去年知り合ったMarkさんの家に招待されていた。Markさんはネパールで麻の洋服のお店をやっていて、私がそのお店に入ったのがきっかけで知り合った。彼は洋服だけではなく紙のビジネスや雑誌を作る計画、ホテルとレストランの計画などを立てて着実に活動している人だ。ネパールでのビジネスを成功させている人としていろいろ学ばせてもらおうと思う。タクシーに乗って、彼の家の近くまで着いたのだが、そこから先が分からず電話をした。すると奥さんの弟が迎えに来てくれていると言ったのでタクシーを降りて探すことにした。しかしなかなか見つからないのでもう一度電話をかけた。するとMarkさんが迎えに来てくれているところだった。間もなくして、私たちは一年ぶりの再会をした。そして弟さんも見つかり3人で家まで歩いた。2年前までは何もなかったと言う土地にぽつぽつ家が建っているという風景の中を歩いた。道は良くなかった。彼の家はとても静かなところにあり、大きかった。これから紙のビジネスを始める為の実験的な設備を作っている最中だった。そして家の前には2エーカーもの畑が広がっていた。その畑ではビュッフェ式のレストランを経営するときに使う、100%オーガニックの野菜を作るそうだ。そしてさらに家の後ろにある丘も彼の土地だそうだ。縦横80メートルあり高さは50メートルの急斜面の土地だ。かなり広い土地を保有していることにびっくりしながら家の中を案内してもらった。以前ジャグジーのビジネスもしていたそうで、4つのジャグジーがあった。パーティをやるときはみんなが入るそうだ。部屋を見せてもらった後、食事をご馳走になった。奥さんの作ったおいしいラザニアを頂きながら、さらにMarkさんの今やっている計画などを聞いた。彼はタメルにギャラリーを持っていると言っていたので、後日連れて行ってもらうことにした。のんびりとした環境の中でゆっくりと時間を過ごすことができた。そして2時半にManoharさんとカカニへ行きその後彼の養鶏場で一泊する予定だったので、Markさんと一緒にタメルに戻ることになった。タクシーで途中まで行き、また会う約束をして私はタクシーを先に下りた。2時半を過ぎてしまっていたのでManoharさんに電話をすると、今向かっている途中だと言った。そこで私はお店の前で待つことにした。しばらくするとManoharさんのお兄さんがやってきた。連れられるままに車の助手席に乗り込んだ。お兄さん以外は全員知らない人だった。それもぎゅう詰状態だ。そこにManoharさんはいなかった。私はよく分からないまま、何の説明もされないまま車に乗っていた。住宅街で何人かが食材を運び下ろし家に入っていた。そしてもう一軒同じようにして止まった。最後にお兄さんの家に着いた。そこにManoharさんがいた。運転手さん以外の人が入れ替わりManoharさんと養鶏場の従業員と私でカカニに向かうことになった。行く前にガソリンを入れ、やっと車は目的地に向けて走りだした。一時間もしないうちにカカニ到着した。そこからはガネシュ山脈がきれいに見ることができた。カカニからの夕焼けは素晴らしい見栄えだった。カトマンドゥ中心から26キロ程で来られる為、観光客は日帰りが多いそうだ。ホテルの数も少なかったので、納得できた。そこから20キロ先にManoharさんの養鶏場はある。途中に日本のマスを養殖しているところがあった。そこで私たちはマスを買って行くことにした。そこには経営者のかわいい赤ちゃんがいた。子供好きの私は一緒に遊びたかったのだがお母さんから離れようとしなかった。人見知りをしているのだろう。仕方なくお母さんに抱かれた赤ちゃんを写真に撮ったりした。日も暮れ寒くなってきたので養鶏場まで急ぐことにした。養鶏場についてびっくり。間違いなくいるはずだと思っていた鶏がいない。Manoharさんに聞いてみると後一ヶ月半くらいしたら鶏をタイかインドから輸入すると言った。鶏がいないお陰でここはとても静かで空気の澄んだいいところだった。二部屋ある宿舎に荷物を置き、Manoharさんとしばらく話をした。この養鶏場にはたくさんのフルーツの木が植えてあること、野菜を育てていることなどを聞いた。明日の朝それらを見せてくれるとも言った。そのうちに養鶏場を管理している人たちが夕食を作ってくれた。ここで取れた野菜を使ったダルバートだ。シンプルだったがとってもおいしかった。大根をお皿一杯山盛りに出してくれて、生野菜をたくさん食べないネパールでは珍しいことだった。ほとんどが火を通した野菜を食べていたので、生野菜をたとえ大根だけだとしても食べたいだけ食べれるのは嬉しかった。しかも採れたてなのでおいしかった。食後さっき買ったマスを焼いたものと大根を持って部屋に戻った。そしてManoharさんが持ってきたおいしいお酒(ロキシー)を飲んだ。アルコール度は結構高かったのだろう、たくさん飲むことはできなかった。マスと大根をちまちまつまみながら少しずつ飲んだ。そしてManoharさんとビジネスについての話を聞いたり、お互いの友達の話をしていた。10時ごろになるとお酒のせいもあって眠くなってきたので、お開きにしてそれぞれの部屋で寝ることにした。私はその後2時ごろに目が覚めてしまった。そしてトイレに行こうと思ったのだが、真っ暗で電気のありかが分からない。仕方なく手探りでおそらくあろう場所を探した。何とか見つけてトイレに入った。すると今度は停電だ。これは待つしかないのでそのままトイレの中で待っていた。5分くらいすると電気が通って明るくなった。私は来たのと同じ方法で布団に潜った。

投稿者 satoka : 13:27 | コメント (0)

2006年12月01日

my nepali life diary 2006 vol.54

12/1
昨晩遅くまで起きていたせいで今朝はゆっくりとした起床になった。昼過ぎまでホテルの部屋で情報整理をしていた。それからBasuがお勧めしていたダルバートレストランに行った。食事をしているとJayから電話があり、私が半分くらい食べ終わった頃にやって来た。ここのダルバートもおいしかった。というよりおいしくないダルバートはないように思う。というのはほとんど材料は同じだし、調味料も決まっているからだろう。実際には少しずつ違ったものを使っているのだろうが、私にはどれもおいしく感じる。食べ終わってからJayのお店に行ってチャイを飲んだ。私はその後チベットアンティークのお店に行くことにした。以前Hirachanさんが紹介してくれたところだ。お店に着き、店主に挨拶をした。お互い顔をおぼろにしか覚えていなかったが5秒ほど見つめ合って思い出した。それから私は様々なアンティークについて説明を受けながら写真撮った。50年くらい前のものから200〜300年前のものまである。ここ一年ぐらいは売れていないそうだが、一度20万円するものが一つでも売れると一年くらい贅沢をしなければ楽に暮らせるのだろう。ただ古いものから価値のありそうなものまでいろいろなものがあった。アンティークを見ていると、本当にいいもとのただ古いものとを区別せねばならない。それは私にとっては至難の業である。しかし単純に「いいな」と思えるものはいくつかあった。一通り撮影してからお店を出た。その後メールのチェックをした。そこで私はJayのお店で携帯の充電をしてもらっていたのを思い出した。そのまま置いたままで持ってくるのを忘れていた。メールチェックを終え、パソコンを部屋に置いてから取りに行くことにした。そこでまたチャイを飲んで少し話していた。それから私はラフティングオフィスのUltimate Decentに行った。そしてWongkuさんの娘のNikimaと一緒に日本語、ネパール語の教えあいをした。彼女も3ヶ月ほど日本語を勉強していたということで少しは話せた。私のネパール語力よりずっと日本語ができるようだった。そこでしばらく時間を潰していた。それから夕食を食べに行った。今日はパスタが食べたかったので、よく行くカフェでトマトソースのパスタを頼んだ。しっかりしたガーリックトーストがついていたのだが、これがおいしかった。パンの食感が少しもちっとしていてよかった。パスタの味もよく満足してホテルに帰った。今日は一日あまりやる気の出ない日だった。

投稿者 satoka : 16:12 | コメント (0)